高市早苗氏が女性初の自民党総裁に選ばれた4日の総裁選からの1週間は、まさにジェットコースターのような展開だった。女性初の内閣総理大臣への期待が強まったのもつかの間、高市氏勝利の陰の立役者となった麻生太郎氏が副総裁として再び表舞台に復帰し、新たな高市執行部は「第2次麻生政権」とやゆされるような、麻生氏に近い顔ぶれが目立つ布陣になった。
7日の新執行部発足の際、高市氏も麻生氏も笑顔でメディアの写真撮影に対応。昨年の総裁選も最後は高市氏を指示しながら敗れ、石破茂首相の総裁選出を受け、党最高顧問の立場となった麻生氏は、石破氏の横でぶぜんとした表情だった。写真撮影が始まるとその場を離れ「最高顧問!最高顧問!」とカメラマンに呼び止められても部屋を出て行ってしまった麻生氏は、今回、手を合わせたりガッツポーズを求めるカメラマンの注文にも応じた。1年前と対照的な姿に、これが権力闘争に勝つというものなんだろうなあと、しみじみ感じた。そこにあったのは、その時点での「勝ち組」たちの笑顔だった。
その3日、26年間連立政権を組んできた公明党が、「政治とカネ」をめぐる企業・団体献金の抜本的規制強化への消極的姿勢に愛想を尽かし、26年間の連立を強制終了することになるとは。取材をすると、連立離脱の要因の1つには、かつて公明党幹部を名指しし「がん」と発言した麻生氏に頼る高市氏への「失望感」もあったようだ。麻生氏自身は、公明の離脱を想像していたかもしれないが。
また、高市氏が総裁選出翌日、公明党との連立政権継続協議に先がけて国民民主党の玉木雄一郎代表と「極秘会談」した(玉木氏は否定)ことも、公明党には耐えられなかったはず、と話す関係者もいた。麻生氏は6日に玉木氏の懐刀、榛葉賀津也幹事長とも会談。公明党の連立政権離脱で状況は変わったが、国民民主党の動きが今後の政治の流れを左右する状態にあるのは、変わっていない。
玉木氏はかねて、政権を担うことへの意欲を隠さず、公言してきた。今回、野党がまとまれば、数の上では「玉木首相」も可能で、立憲民主党からは玉木氏を野党統一の総理候補とする提案もある。1993年に誕生した細川護熙連立政権は、「非自民&非共産」を旗印に8会派が集い、自民党から政権をもぎとった。あの時と同じように、野党がまとまれば政権交代の大チャンスがそこまで訪れているのだが、玉木氏は基本政策の一致なくまとまることはないという高いハードルを掲げ、野党結集の機運は高まっていない。
玉木氏の首相就任への意欲を初めて耳にしたのは、今年5月の大型連休中のアキバ街頭演説。「政権を担いたい。そう思っている」と、多くの聴衆の前で宣言した。2020年9月に今の形での結党以来、昨年の衆院選で躍進するまでは勢力を増やせなかったことを嘆き「支持率は視力検査、シャープペンの芯の太さだ、って言われたよ。でもここまで何とかやってこられたのは、私たちの理念や政策に共感して戦ってくれた仲間がいたから。だからブレずにやりたい。だれよりも政策や理念にこだわっていきたい」と述べ、「(政権を担うには)大きなかたまり、数もいる。確かに大切だけど、大きなかたまりにするための最初のかたまりは、『正しいかたまり』じゃないとだめなんですよ」とも述べ、この時も「数より政策」の持論を口にしていた。
演説後、「政権を担いたい」意欲の真意をたずねると、「公党の代表ですから。いつかは国のリーダーに、という思いは当然あります」と述べ、当時、その後に予定されていた東京都議選や参院選での躍進が「肝」としながら「それにふさわしい基礎体力をつけていくという意味でも選挙を勝ち抜きたい」と口にした。
国民民主は結果的に、都議選、参院選でも議席を増やした。そして今、26年ぶりに政権の枠組みが変わり、政界交代含みの大政局が起きている。玉木氏の動向が、今後の政局の流れに影響を与えることもあってか、「政権を担いたい」と公言してきた玉木氏の物言いは慎重で、持論を述べるにとどまっている。そんな玉木氏に、野党からは「首相になるんじゃなかったのか。万年野党がいいのか」(関係者)と、辛辣(しんらつ)な声も聴いた。
永田町を長く見てきた関係者に話を聴くと「3年あまりで民主党政権が終わった後、『安倍1強』になり、自民党も野党もそこに慣れてしまった。1強時代が終わり、新興政党も出て政界が流動する中、理想と現実の間を少しでも詰めていけるところが、今後の『勝ち組』になるだろうね」とのことだった。
連立離脱した公明党の斉藤鉄夫代表が、今後は野党の立場になると述べたことから、「公明と、ほかの一部野党が斉藤さんでまとまれば、数の上では高市さんを上回る計算。『斉藤首相』の可能性もゼロではない」(永田町関係者)との仰天シナリオまで飛び交っているという。日本の政治は、だれが首相になるか分からない未体験ゾーンに突入している。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)


