今年2月の衆院選直前に立憲民主党と公明党の衆院議員が合流し、結党された中道改革連合が、党の存続、党の将来をめぐって大ピンチに陥っている。当初、小川淳也代表が描いた、立民と公明の参院側の中道への合流は、立民が事実上「拒否」したことで、合流が既定路線だった公明も見送りに傾いた。3党による合流協議期限最終日の8月31日、通常は与党党首会談なども行われる国会内の部屋で、3党党首会談と、その後の取材に応じた小川氏の対応は、率直に言って、痛かった。
30分弱で終わった党首会談後の取材では、3党合流断念後の中道の今後の対応に、記者の質問は当然集中したが、小川氏は「新しい形態」というなんとなく前向きな抽象的なワードを繰り返すだけで、具体的なイメージすら与えなかった。
小川氏といえば、SNSで「いったん相手の立場を理解する姿勢を示す→『しかし』『一方で』で論点を転換→むだにさまざまな選択肢を示す→抽象度を上げて理念の話に昇華させる→結論は言わない」などと、自身の説明ぶりを分析・解説されるくらいの「オガジュン構文」で知られる。ただこの日の会見で語ったことは、構文にもならず、「新しい形態」という主張の繰り返しだった。すでにメディアでは「分党」「分裂」など、今後の展開を説明しようとする言葉が報じられているが、小川氏は「『分裂』という言葉には非常に違和感を感じる」としつつ、「解釈はおまかせします」とメディアに判断を委ねるなど、らしくなさの目立つ会見だった。
「党にとって最悪の事態を回避しようと」(野党関係者)各方面に気を配りながら、なんとか「かたまり」での存続を目指そうとしているのは、だれもが理解している。それを軽々に口にしない、できないところが、小川氏の立場の難しさを表している。
そもそも中道は、高市早苗首相の電撃解散に何とか対抗しようと、双方の支援組織の合体による相乗効果も念頭に置いた「数合わせの究極の選挙互助会」(関係者)といわれた立ち上げから始まった。野田佳彦前代表ら立民幹部、斉藤鉄夫前代表ら公明幹部が中道結成を発表した際は、出席者の年齢層と人数から「ファイブ爺」と指摘された。しかし、選挙では「ファイブ爺」からも落選者が出て、結果は大惨敗。特に公示前に144人いた立民系は、21人にまで減った。
小選挙区での当選は「神セブン」といわれた7人しかおらず、小川氏は辞任した野田氏の後継を決める代表選に立候補。同じく小選挙区当選組の階猛幹事長を破り、代表の座に就いた。
その時の記者会見で、小川氏は「火中の栗は、いちばん過酷な時にこそ拾うもので、それを拾わせていただいた。守るものも失うものもない」と訴えていたが、立民関係者は「代表就任が火中の栗どころか、今となっては小川さんにとって、毎日が火中の栗。野田氏らの『尻ぬぐい』をやらされている形で、気の毒に思っている人もいるはず」と話す。一方で、立民の中道への合流に向けた姿勢を「腰が引けている」などと発言して謝罪したり、女性天皇をめぐる私見を定例会見で口にして発言撤回と謝罪に追い込まれたりと、言葉が売りながら、その軽さが指摘されてきたのも現実だ。
東大から旧自治省(現・総務省)官僚をへて政界入りした小川氏は、官僚から政治家に転身した姿を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)で、名を知られる存在となった。代表選に臨む際、「温かくやさしく、魅力的な野党第1党をつくりたいという思いで、初当選からやり続けた。本格的な改革をするなら自らトップに立つしかない」と述べていたが、めぐってきたチャンスは党にとって最大の危機の時。「火中の栗」を残した野田氏ら立民系の前執行部メンバーは、今回の中道の危機にも、だんまりだ。自業自得とはいえ、小川代表の孤立ぶりが際立つ状況にもなっている。
9月4日の定例会見でも、「新しい形態」をめぐりさまざまな質問が相次いだが、小川氏はこの場でも、明かそうとはしなかった。合流断念に至った「力不足を心よりおわびしたい」と述べ、今後については「プランB」の検討を進めていると訴えた。しかし、「プランBとは、ある目標に向かった時にうまくいかない場合のため、なにがしか備えておくこと。きれいな言葉だが、準備をしていないことが今の政治不信を媒介している」と、厳しく指摘される場面もあった。
小川氏は「私の中では頭の体操をしてきた。怠ってきたつもりはない」と反論し、今週にかけて一定の結論を導けるよう努力する考えを示した。普通なら、年内最後の与野党論戦の場となる臨時国会の召集まで、約1カ月。結党の経緯から、ずっとドタバタばかりを見せられてきた感のある野党第1党の「再起動」の姿は、どうしてもなかなか見えてこない。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)


