非自民連立政権で、第80代首相を務めた羽田孜(はた・つとむ)氏が、28日午前7時6分、老衰のため東京都内の自宅で死去した。82歳。東京都出身。旧竹下派で「7奉行」の1人に数えられた有力政治家だが、首相時代は政権基盤が安定せず、64日間の短命で総辞職した。小池百合子都知事が発案したクールビズの「元祖」といえる、半袖スーツがトレードマーク。バス会社でのサラリーマン時代は、車掌も経験。親しみやすさも持ち味だった。

 羽田氏は12年衆院選に出馬せず、政界を引退。その後、公の場に出る機会は減っていた。13年12月、桐花大綬章受章などを祝い、地元の長野県上田市で開かれた会合では、支援者の祝福に手を振って応じた。

 成城大卒業後、小田急バスに勤めた。観光課勤務時代には「文学散歩」や「史跡めぐり」などのバスツアーを企画、ヒットを連発したアイデアマン。自民党衆院議員だった父武嗣郎氏の病気引退に伴い、退社。69年に衆院旧長野2区で初当選。当選14回を重ねた。

 自民党の旧竹下派出身で、橋本龍太郎、小渕恵三両元首相や小沢一郎・自由党代表らと「7奉行」の1人に数えられた。温厚で飾らない人柄で知られたが、「平時の羽田、乱世の小沢」といわれ、当時の政界のキーマン。93年6月、宮沢内閣の不信任決議案に賛成し、小沢氏らと自民党を離党し、新生党を結成。93年衆院選で、自民党が下野するきっかけをつくった。

 同年8月、細川・非自民連立政権では副総理兼外相。細川護煕首相の退陣を受け、94年4月に首相に就任したが、旧社会党の連立離脱などで少数与党となり、政権基盤は安定しなかった。同年6月に総辞職。在任期間は64日で戦後2番目、現行憲法下では最短の短命政権だった。

 一方、羽田氏の名前がお茶の間に浸透したのは、毎年夏に着ていた「半袖スーツ」の存在が大きい。第2次オイルショックを機に生まれた「省エネルック」が原形だが、羽田氏は、省エネルックが姿を消した後も、「信念をもって」(関係者)着用。地元の洋服店などでオーダーメードし、伸縮性を持たせるなどの研究も重ね、「ニューサマースーツ」と呼ぶ、お気に入りのスタイルだった。息子の羽田雄一郎参院議員にも、引きつがれた。

 男性の夏の軽装といえば、環境相だった小池都知事が、05年に「クールビズ」を提唱。一気に定番スタイルにしたが、小池氏は28日、取材に「あのスーツのアイデアが、クールビズにつなげる意味でも参考になった」と、羽田氏をしのんだ。激動の政治家人生には、「元祖クールビズ」を生み出した「功績」も彩られている。

<羽田元首相の歩み>

 ▼69年12月 衆院選初当選。

 ▼85年12月 第2次中曽根再改造内閣で農相。

 ▼88年12月 竹下改造内閣で農相。

 ▼91年11月 宮沢内閣で蔵相。

 ▼93年6月 宮沢内閣不信任決議案に賛成。自民党を離党し、新生党党首。

 ▼8月 細川内閣で副総理兼外相。

 ▼94年4月 第80代首相就任。

 ▼6月 羽田内閣総辞職。

 ▼12月 新進党副党首。

 ▼96年12月 太陽党党首。

 ▼98年1月 民政党代表。

 ▼4月 民主党幹事長。

 ▼02年12月 民主党最高顧問。

 ▼12年12月 衆院選に立候補せず、政界引退。