「子どもたち、負けるなよ!」。11年4月7日。星野氏は仙台に戻った直後の夜、仙台市若林区の避難所となっていた六郷中学校の体育館に急行し、被災した子どもたちを励ました。当時小学4年生で現在、高校2年生となった若生(わこう)賢人さん(17)もその言葉が「心に残っている」という。

 タクシーから降りた星野氏に駆け寄り、左手で握手を求めた。若生さんは当時野球少年で左投げだった。星野氏から「左手か。野球やってんのか」と声を掛けられた。津波で自宅は全壊し、野球道具も全部流された。4月に入り、両親に買ってもらったばかりのグラブにサインをもらった。

 体育館での避難生活も1カ月が過ぎようとしていた。食事の配給も毎日ではなかったため、数日前に握られたおにぎりを少しずつ食べた。母ゆかりさん(46)は「息子は慣れない避難生活で眠れないし、ご飯もあまり食べなかった。我慢していた時に星野さんが来てくれて、元気が出た。やっぱりスターだなと」と振り返った。

 6日朝、訃報を知り、父政儀(まさよし)さん(46)は「野球と東北にご尽力いただいた。本当に残念。これからも東北の復興の行く末を見守っていてほしい」と語った。

 13年には楽天の日本一も見せてもらい「ありがとうと言いたい」と若生さん。当時の夢はプロ野球選手だったが、今は小中学校の体育教師と野球の指導者を目指している。グラブにもらったサインは消えかけたが、闘将と過ごした一時は、これからも心に刻まれたままだ。【三須一紀】