内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放され、帰国したジャーナリスト安田純平さん(44)が2日午前、東京都千代田区の日本記者クラブで、帰国後、初めて記者会見を開いた。

安田さんは、拘束された組織から「我々は殺すことは絶対にない。日本政府から返事がなければ、1カ月くらいしたら放り出す」「日本政府から反応がなかったら、解放してやるからな」と、たびたび言われていたと明かした。

安田さんは2015年6月22日に、2人組に手引きされて徒歩でシリアに入り、民家に監禁された。その後、集合住宅の地下牢(ろう)や民家に3度、移動させられた。その中で同12月と翌16年1月に日本に送るための個人情報、家族からの質問の答えなどを書かされたり、同3月に動画、同5月には写真の撮影も行った。写真の撮影を行ったあたりで組織側から「我々は殺すことは絶対にない。日本政府から返事がなければ、1カ月くらいしたら放り出す」と言われ「1カ月が(解放の)メドと期待していた」と当時の心境を明かした。

安田さんは組織側から、アラブの名前として「ミダル」と名付けられていたという。安田さん以外にも外国人の囚人がおり、組織の構成員が「ミダルはどうするんだ?」と聞き、代表者が「それはねぇ」などと答える中、「ウワー」と喜ぶ大騒ぎが聞こえ、お祝いをしており、「おそらく、身代金が出る交渉がまとまった」と印象を受けたという。

そして同7月10日に民家を出たので「これで解放かもと期待した」(安田さん)が、車で長く走ると「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設に入れられたという。【村上幸将】