東日本大震災から10年となった11日、岩手県沿岸部を走る三陸鉄道(本社・岩手県宮古市)が、「3・11を語り継ぐ 感謝のリレー列車」と題した震災復興ガイド付き列車を初めて運行した。
リアス線の盛(さかり)駅~久慈駅の全長163キロ。今月限りで定年退職するベテラン社員ら5人が10年間の経験談などを話しながら、4時間半の旅を続けた。震災だけでなく、2019年の台風被害も乗り越えた復興のシンボル「三鉄」。現在はコロナ禍にあるが、これからも地元住民の重要な足として愛される存在に変わりはない。
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三陸鉄道が、震災で崩落した閉伊川にかかる橋の上で一時停止した。午後2時46分。宮古市内に大音量でサイレンが鳴り響く。1分間。全国各地から集った乗客30人、同乗の三鉄社員らが黙とうした。両手を合わせる人。脱帽して深々と頭を下げる人。涙があふれる女性もいた。
11日は、震災から10年が経過したにすぎない。地元に寄り添い、愛され、共存共栄してきた三鉄。黙とうの後、また走りだした。
震災を風化させない。体験談を伝え、次の大震災への備えにしてほしい。そんな思いから発車した。震災からの歴史を知る5人の社員が163キロをリレー。三鉄1期生で、震災当時は旅客サービス部長を務めていた冨手淳・旅客営業部副部長(60)は、陸中山田駅~宮古駅間を担当した。
あの日、宮古駅に隣接する本社にいた。駅付近にいた市民らを避難誘導。津波が手前で引くのを見ると、駅に再び走った。午後3時台に出発だった車両にエンジンをかけた。停電していてもディーゼル車のため、動いた。「それから1週間は、車両が対策本部になった。暖もとれたし、避難所よりも快適でした」。線路のかさ上げ、津波や火災被害の駅舎の再建、地元の要望で誕生した新しい駅。防潮堤で失われた海の絶景、流された名産のカキやホヤ。「話しながら記憶が鮮明になってきました」。マスクを少しずらして汗をふき、笑った。今月限りで定年退職し、故郷の盛岡に帰る。大好きな三鉄車両内で最後の大仕事を終えた。「どうすればもっと地方に人を寄せられたかな…。新しい挑戦は何かな」。後ろ髪を引かれる思いも残る。
それでも地震発生5日後に一部区間を再開させ、貴重な交通手段確保に尽力した姿は、沿岸の町に語り継がれる。96年から赤字に転じ、社員一丸で首都圏の旅行会社などにも営業活動した。04年の東北新幹線八戸駅開通を弾みに、年間利用者10万人まで回復してきた直後の震災。13年、NHKの連続ドラマ小説「あまちゃん」の舞台として三鉄も登場。「じぇじぇじぇ~」のフレーズとともに復興への大きな一助になった。
震災後も苦難は続いた。19年10月、台風19号で被災した際は少しの区間ずつしか復旧できず、ダイヤ編成の苦労は3・11以上。新型コロナウイルス感染症では約2000件のツアーが中止となる大打撃を受けた。
線路脇にある保育園の園児は、三鉄が通過するたびに笑顔で手を振る。地元民が清掃担当の駅もある。宮古市在住の80代男性は「今日も競輪(場外)やりにきた。孫に会いに行くのも三鉄。なくてはならねえ」。20代女性も「当時は高校の通学で使っていた。すぐに復旧してくれた感謝がある」。幾多の苦難も乗り越えてきた三鉄は、住民の生活必需品であり、復興のシンボル。これからも海岸線を走り続ける。【鎌田直秀】

