元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。

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アントニオ猪木さんの2度目の国政挑戦は、70歳の時だった。党幹部の発言で逆風が吹いていた当時の日本維新の会で、2013年参院選比例代表の目玉として白羽の矢が立った。インタビューすると「戦いに出る時、負けを考えるバカはいない。ちょっと意識を変えれば力は出る」「70だがジジイとは思わない」と静かに燃えていた。当選し2度目の国会議員となった。

最初の政界入りはスポーツ平和党を率いた1989年参院選。「世の中を変えようというギラギラした思い」からだった。元プロ野球選手の江本孟紀氏も加わり話題になったが、党内の混乱や自身の落選もあり、1期で永田町を去った。

18年ぶりの国政に導いたのは、維新の共同代表だった石原慎太郎さん。党内の反対を説き伏せた。出馬会見では2人で「ダー」を叫び、ビンタを辞退した石原さんとほおをなで合った。維新分裂の際は、導いてくれた恩に報いるため、石原さんと行動をともにした。

北朝鮮外交へ、常に独自のパイプを訴えていた。形にならなかったのは無念だったはずだ。【中山知子】