記憶に残るのは勝ち馬だけじゃない。歴史的な一戦を振り返る「G1ヒストリア」は、11年菊花賞2着馬ウインバリアシオンを取り上げる。3冠馬オルフェーヴルの後塵を拝したが、現在は青森で元気に種牡馬生活を送っている。同馬を所有するスプリングファームの佐々木拓也代表(50)が思い出と同馬の今を語った。

青森で種牡馬生活を送るウインバリアシオンとスプリングファームの佐々木拓也代表
青森で種牡馬生活を送るウインバリアシオンとスプリングファームの佐々木拓也代表

時代が違っていれば…。ウインバリアシオンは別の道を歩んでいたかもしれない。11年菊花賞。残り300メートル。ウインバリアシオンは3冠が確実視されたオルフェーヴルを必死に追っていた。馬群の間を抜け、力の限り2冠馬を追う。大勢は決していた。2馬身半差、届かなかった。ダービーに続く2着。3冠阻止はかなわなかった。

ウインバリアシオンは今、かつて隆盛を極めた馬産地青森で種牡馬生活を送っている。15年天皇賞・春12着後に屈腱炎(けんえん)での引退後、海外も欲したその血を導入すべくスプリングファームの佐々木拓也代表が導入にこぎつけた。「大きい馬なのにあれだけ末脚が切れる。菊花賞も縫うように伸びた。不器用な馬なら、あんな脚を使って上がっていけない。能力と柔らかさがないとできないですよ」。当時は自宅でレースを観戦していた。もちろん、自分の手元に幻の2冠馬が来るとは思わずに。「数え切れないほど見返しましたよ。枠が内なら、少し位置が取れていたら、ヨーイドンの位置が近かったら…。もっと着差を詰められたんじゃないかって」。

不撓(ふとう)不屈-。そんな姿がファンを勇気づけた。相手は絶対的強者。天災と戦う世情も重なった。「東日本大震災の年で日本中が落ち込んで、生きていくのも嫌になった人だっていると思います。オルフェに食らいつく姿に勇気をもらったって、ファンが言ってくださったこともある」。困難に立ち向かう走りに自身を投影させた人がいる。だから多くのファンが馬券で支えた。2番人気。個性ある敗者がいたから、勝者がより輝いた。11年クラシックはこの馬抜きに語れない。

今では青森を照らす存在だ。16年の種牡馬生活初年度は35頭の種付けを行った。県内の繁殖牝馬は80頭強。北海道から交配に来た馬もいるが、1年目からとてつもない人気を誇った。「G1を勝っていたら、バリはここにいなかったと思う。負けにも意味があるんだな、と。セリもそうだけど、青森の馬産地が明るくなりました。僕もバリに助けられた1人です」。たらればの分かれ道を進んで、東北の地にたどり着いた。種牡馬としての人気も健在。放つ光はG1馬のそれだった。【松田直樹】


◆ウインバリアシオン 08年4月10日、ノーザンファーム(北海道安平町)生まれ。父ハーツクライ、母スーパーバレリーナ(ストームバード)。牡、鹿毛。10年8月に栗東・松永昌博厩舎よりデビュー。翌年青葉賞で重賞初制覇。ダービー、神戸新聞杯、菊花賞でオルフェーヴルの2着に続いた。2度の屈腱炎を乗り越えて7歳時の15年天皇賞・春(12着)まで走り抜いた。同レース後に左前脚の浅屈腱不全断裂で引退。通算成績は23戦4勝(重賞2勝)。代表産駒はダートでオープンまで出世したドスハーツ。