ダービー直前の“3冠候補”を襲ったアクシデントとは。学習院大在学中に「日本中世史」を学んだルーキー下村琴葉(ことは)記者が、歴代スターホースの逸話を探る連載「名馬秘話ヒストリア」の第4話はトウカイテイオー。新馬戦から6戦の鞍上を務めた安田隆行調教師(69)を取材した。“文武両道”の帝王との歩みで、師が一番印象深いという91年日本ダービーにスポットを当てる。(毎週金曜更新)

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18万人の歓声はエールか、プレッシャーか。91年日本ダービー、東京競馬場には18万人が集った。今年のダービーはコロナ禍もあり約6万人だったので、およそ3倍。想像もつかない。そんな舞台の主役の座にはトウカイテイオーと安田隆行騎手(現調教師)が君臨した。単勝オッズは1・6倍。デビュー戦から皐月賞まで5戦無敗でダービーに挑む人馬に、人々は大きな期待を寄せた。

しかし、レース2週間前、思わぬアクシデントが。テイオーが腰痛を起こし、少し脚を引きずっていたという。「歩様を乱してね。ダービーまでどうなるんだろうって心配した。治療して治ったんだけど、今考えると奇跡ですね」(安田隆師)。以前、師にダービーの取材をした際、「ダービーは実力だけでは勝てない。体調、枠、騎手の運も必要だね」と話していた。これもテイオーと師が持っていた運だったのだろうか。

いざダービー当日。本馬場入場の時に間近で大歓声を受けて鞍上が緊張する一方、馬はいつも通りだった。「動じずに1歩、1歩しっかり歩いていてね。見習わなきゃだめだと思った」。師が絶賛する落ち着きぶりは新馬の時から。「すごくお利口さんで。自分で競馬を組み立てるというか、自分で競馬ができる」。文武両道、師はテイオーのことをそう表現する。

大外20番枠。青々としたターフに鮮やかに映えるピンクの勝負服と帽子が、直線で悠々と抜け出した。3馬身差の圧勝に誰もが抱く3冠の予感。だが、レース後に骨折が判明し、父に次ぐ3冠馬の夢ははかなく消えた。その後も骨折してははい上がり、92年ジャパンC、93年有馬記念を制覇。その復活劇は奇跡とも呼ばれた。

今ではゲームの影響もあり、若者からの認知度が急上昇。30年がたっても人々の心を統(す)べる「帝王」、彼の栄冠はきっとこの先も色あせることはないだろう。

◆トウカイテイオー 1988年4月20日生まれ、北海道新冠町・長浜牧場生産。父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラル(母の父ナイスダンサー)。馬主は内村正則氏。栗東・松元省一厩舎所属。通算成績12戦9勝。G1は91年皐月賞、ダービー、92年ジャパンC、93年有馬記念の4勝。総賞金は6億2563万3500円。

◆下村琴葉(しもむら・ことは)2000年(平12)、東京都生まれ。学習院大卒。学生時代は日本中世史ゼミに所属し『吾妻鏡』を講読。趣味は野球観戦。“ウマ娘”がきっかけで競馬に興味を持った。今年4月に日刊スポーツ入社、5月にレース部配属。