ミックファイアの無敗3冠制覇、セレクションセールで“1億円超え”の衝撃落札…、日本のダート競馬&生産界で歴史的な成功をおさめた種牡馬シニスターミニスター(牡20)はどのように日本へやってきたのか-。導入当初の評判から現在の地位を築き上げるまで、そして、将来の展望を連載「邪悪な大臣シニスターミニスターの成功物語」で取り上げる。第3回は「不遇の時代に見せた資質」。08年から種牡馬生活が始まり、11年に初年度産駒がデビュー。有限会社アロースタッド(北海道新ひだか町)の岡田隆寛代表が期待を持って導入した新種牡馬の評判は…。【特別取材班】

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07年はサンデーサイレンス(02年に死亡)が最後にリーディングサイアーに輝いた年だった。08年はアグネスタキオン、09年はマンハッタンカフェ。10、11年にキングカメハメハがその座につき、12年から昨年(22年)までディープインパクトが君臨している。

「シニスターミニスターは03年生まれなので、世代的にはキングカメハメハ(01年生まれ)、ディープインパクト(02年生まれ)に近い世代です。キンカメ、ディープの前後の世代の馬たちは種牡馬としての競走も彼らに巻き込まれるタイミングで目立つのが難しかったですし、何よりも今ほど“ダート馬が評価を受ける時代”ではありませんでした」。

シニスターミニスターの種付け頭数は08年が56頭、09年が60頭、10年が56頭、11年が56頭、そして、12年は自身最低の51頭となり、13年に76頭へ復調する。

「シンジケートがあるので最初は種付けがありますけど、普通は4年目くらいからガクッと種付けは下がります。種付け料も13年に50万円まで下がって、低迷しました。ただ、初年度産駒からこちらが思っている以上に走っているなあ、と。ダブルスター(09年生まれ)、インカンテーション(10年生まれ)、キングズガード(11年生まれ)と、3世代連続でオープン馬が出ましたし、その後もポツポツと走る馬が出ました」。

日刊スポーツが報じた最初のシニスターミニスター産駒はいろいろな意味で話題を呼んだ。2011年の元旦付紙面を飾ったのが、初年度産駒だったペルラーの09(牡)。現役のプロ野球選手として初めてJRAの個人馬主となった横浜ベイスターズの三浦大輔投手(現監督)の初所有馬だった。シュウジデイファームで育成され、矢作厩舎からデビューした同馬はリーゼントブルースと名付けられ、タフに走り抜き、36戦3勝の成績を残した(現在は札幌競馬場で誘導馬を務めている)。記者は当時、矢作師に聞いた言葉をハッキリと覚えている。「父は新種牡馬で日本の人にはなじみがないと思うけど、現役時にすごいパフォーマンスをしているんだ。この種牡馬の産駒は走ると思うよ」。

アロースタッドが導入を決めたときは「貧相な馬を買ってきたなあ」「(戦績を見て)一発屋でしょ」という厳しい声もあったという。ただ、産駒がデビューすると、風向きが変わってきた。「初年度産駒を見た時点で『この種牡馬は当たりだよ』と言ってくれる方も少なからずいました」。不遇の時代に見せた種牡馬としての絶対的な資質。G1級の大物産駒の登場は時間の問題だった。

(つづく)