川島信二騎手(41)は25日がJRA最後の騎乗だった。優しく面倒見が良く、気遣いの人だった。

入社した06年秋に私はレース部に配属された。それまで競馬を見たこともなく、ダービーが何メートルで行われるかも知らないほど無知だった頃。トレセンで取材するもなかなかなじめない私を心配してか、スタンドで声をかけてくださった。食事に誘ってくれたり、関係者をたくさん紹介してくれたり、本当の本当に助けられた。面倒見がいいから後輩にもよく慕われていた。

栗東トレセンでは珍しく東京出身で、関西のノリとは全く違う穏やかな話し方が印象的。漫画やアニメ好きな私に合わせて、そんな話題もよく振ってくれた。とある夏の小倉開催の帰り、台風で新幹線が新大阪駅止まりになった時のこと。栗東に帰れなくなり、その新幹線に同乗していた私の家に泊まりに来たことがあった。(当時は実家住まいだったし、おかしな意味はない)。突然の来客に両親は驚いたが川島騎手の人柄に一瞬で魅了され、それ以降両親は「信ちゃん」と呼ぶようになり、毎週川島騎手の騎乗馬をチェックするようになった。

ようやく競馬を覚えた私に安心してか、しばらく食事に行くことも無くなった14年1月。日曜の京都競馬場で取材後、久しぶりに川島騎手からメールが来た。競馬場からほど近い居酒屋に向かうと、川島騎手が1人で飲んでいた。「さっき検量室前でキャナちゃん(私の呼び名)を見かけた時、ちょっとしんどそうに見えたから心配になって」。いわゆる“陰キャ”の私は割と1人ぼっちでいることが多く現場でもそうだったので、はたから見てさみしそうに見えたのだろう。そんな私を心配して飲みに行こうと声をかけてくれた。その気遣い、優しさに心がじんとした。

落馬事故で亡くなった岡潤一郎騎手のステッキを大切に持っていた。川島さん、長い間お疲れさまでした。4人のお子様たちもお父さんの勇姿を見ることが出来て誇らしかったことでしょう。これからのホースマン人生も陰ながら応援しています。【平本果那】