今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の最終回は、栗東の松永昌博調教師(70)が登場する。騎手時代は“善戦マン”として人気だった個性派ナイスネイチャの主戦騎手として活躍。調教師としてはG1を勝利し、2人の弟子も育て上げた。きょう5日が調教師免許の最終日。競馬界での47年間を振り返った。【取材・構成=下村琴葉】

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体が小さかったこともあり、おじさんの勧めで騎手になりました。それまで乗馬などの経験は全くありませんでした。最初は京都競馬場に入って、そこでずっと修業をして、右も左も分からないまま放り込まれた感じ(笑い)。初勝利は小倉でした。うれしかったですね。大きいところは勝てませんでしたが、バンブーメモリー、トーヨーシアトルなどで、重賞はそこそこ勝たせてもらいました。

でもやっぱり、印象に残っているのはナイスネイチャですね。お母さんのウラカワミユキにも乗っていました。最初は「そんなに走るのかな」という感じで、性格はおとなしい馬。追い切りでも乗りやすかったのですが、だんだん掛かるようになっていきましたね。一番思い出深いのは、高松宮杯を勝った時です。ずっと勝てませんでしたから。これは勝てると思ったのは、残り1ハロンを過ぎてからですね。内でスターバレリーナが粘っていたから。やっぱり、この世界は勝つのが一番。勝ってなんぼです。

ネイチャは去年、亡くなってしまいましたが、お墓参りには行きました。熊が出るような、すごい山の中にあります(笑い)。生前もちょこちょこと牧場に会いに行ってましたよ。すごく長生きでしたし、引退馬協会の功労馬。花束を持って行って「お疲れさん」と声をかけました。ゆっくり休んでほしいです。

調教師になってからは、エイシンアポロンでマイルCS(11年)を勝たせてもらいました。でも、転厩馬でしたからね。G1はこれしか取れませんでした。他にはウインバリアシオンが思い入れのある馬です。ダービー当日の朝に爪から血が出ていて、使うか悩みました。手当てをして大丈夫そうだったので、出走させて。雨が降って馬場が緩かったのもよかったのかな。一瞬勝つかと思ったけど、1頭、強い馬(オルフェーヴル)がいましたからね。

その後の神戸新聞杯、菊花賞も2着、2着と頑張ってくれました。それも勝てませんでしたが…。今は青森で種牡馬をやっているそうです。青森だと北海道と比べて厳しいところもあると思いますが、いい子を出してくれたらうれしいですね。

競馬の世界に入って47年、離れるさみしさはあります。何もすることがないので退屈だなあ、それが一番ですね。でも、うちにいた馬やスタッフも他の厩舎に行きますし、(森)一馬も(小沢)大仁もいるから、応援していかないといけませんね。一馬はもう障害であれだけ乗れていて心配はありませんが、大仁はもっと一人前にしたかったですね。そこは心残りです。

自分がナイスネイチャの主戦をやっていたことで、調教師になってからもファンの方が反応してくれることがありました。実績があるわけではないのに、ありがたいですね。これからも競馬が発展していけばうれしいです。ここで働く皆は、とにかくけがなく頑張ってほしいです。(おわり)

◆ナイスネイチャが勝った高松宮杯 94年7月。当時はG2、芝2000メートル。13頭立ての5番人気で勝利。91年12月の鳴尾記念を勝って以降、その高松宮杯の前走まで16連敗しており、その間に91~93年有馬記念3年連続3着など重賞で2着3回、3着7回があった。

◆松永昌博(まつなが・まさひろ)1953年(昭28)12月17日、鹿児島県生まれ。77年3月に騎手デビュー。初勝利は同4月2日小倉6Rのナニワスピード。JRA通算5845戦544勝。ナイスネイチャの主戦を務め、94年高松宮杯を制するなどJRA重賞は通算23勝。02年に引退。調教助手をへて05年に調教師免許取得、06年開業。JRA通算4514戦370勝。JRA・G1は11年マイルCS(エイシンアポロン)。同重賞は通算11勝。21年に新人騎手育成賞。