たくさんのファンに愛された“白銀旅程”を振り返りたい。

去る26日に国内外で重賞2勝のシルヴァーソニック(牡8、池江)が現役を引退することが発表された。天皇賞・春(16着)の後に左前肢の繋靱帯炎(けいじんたいえん)が判明。故郷の社台ファーム(北海道千歳市)で乗馬になることが決まった。

父オルフェーヴルの番記者だった僕にとっても、レアな芦毛の産駒として気になる存在だった。何よりもクリクリの黒目がかわいらしい…。SNSなどではG1馬以上の人気を集め、引退発表時には続々と惜しむ声が投稿された。

そこで今回は、足かけ6年にわたって担当した池本啓汰調教助手(30)に思い出を語ってもらった。「シルヴィー」と呼んできた愛馬は、かけがえのないパートナーだった。

「僕にとって、新馬から担当したのは初めてだったんです。重賞も初めて勝たせてもらって、サウジアラビアにも連れてってもらいました。G1を勝たせてやれなかったのが心残りです。しんどい思いばかりさせて、いい思いをさせてもらいました。感謝しかないです。今まで頑張ってくれた分、ゆっくりしてほしいですね」

その注目度が一気に増したのは、2年前の天皇賞・春だった。

発馬直後に落馬。けなげにカラ馬のまま3200メートルを走り抜いたが、ゴール後の2コーナーで背面跳びのように外ラチを越えて横たわり、そのまま動かなくなった。

現場で見ていた僕も、最悪の事態を覚悟した。それは池本助手も同じだったという。

「(遠目には)動いてなかったですからね。『これでお別れか…』という思いがよぎって、泣きそうになりました」

涙目で見つめた芦毛の馬体は、近づいてみると動いていた。

「呼吸をしてるのが分かりました。『何してんの?』って言ったら起き上がってくれて。不幸中の幸いでしたね。擦り傷はありましたけど、奇跡的に骨に異常はありませんでした」

そんな一部始終がSNSなどで広まり、一躍、競馬界屈指の人気者になった。厩舎には手紙やお守りが次々と届いた。小さな女の子からも「頑張る姿を見てファンになりました」と応援された。

「老若男女問わず、注目していただいて…。僕のモチベーションにもなりました。みなさんに感謝したいです。頂いたお守りは競馬場にも持って行っていました」

実は、その出会いも落馬から始まっている。

シルヴァーソニックの調教データをさかのぼると、最初の18年12月2日(2歳時)に坂路を2本上がった形跡がある。タイムは計時不能。その馬上には誰もいなかったという。

「会った次の日にまたがって、坂路で落とされてしまったんです。そのまま(カラ馬で)2本上がってます。人馬とも、けががなかったから言えることではあるんですが『すごいな』と思いました。ある意味、バケモノですよね…」

そんな素質は6歳の年末にようやく花を咲かせた。天皇賞・春の競走中止から7カ月。復帰戦となったステイヤーズSで待望の重賞初制覇を果たした。次戦は翌年2月にサウジアラビアへ飛んでG3レッドシーターフHを完勝。1年前の雪辱をかけた天皇賞・春でも3着に健闘した。

「毎回、一生懸命に走ってくれました。オンとオフが分かっていて、いざ調教が始まるとスイッチが入るんです。賢くて頼もしかったですね。競馬へ向かう中でルーティンをつくったんですが、それを理解してくれてからは自分でカイバの量を調整して体をつくってくれました」

トレセン生活8年目の池本助手にとっては、そのキャリアのほとんどをともにしてきた戦友だ。祖父ステイゴールドの香港名「黄金旅程」になぞらえるなら“白銀旅程”と呼べるような長い道のりだった。

「ファンの方々にも、6年間も応援していただいて感謝しています。僕自身の支えにもなりました。(けがでの引退は)残念でさみしいですけど、この経験を糧にして、またいい馬をつくっていきたいです。シルヴィーにも会いに行きたいですね」

相棒は「音速」の名前とは対照的に、ゆっくりたっぷり思い出をつくってくれた。これからもシルヴィーは、人々から愛され続けるに違いない。【太田尚樹】

 

◆シルヴァーソニック 2016年3月22日、社台ファーム(北海道千歳市)生産。父オルフェーヴル、母エアトゥーレ。牡、芦毛。馬主は社台レースホース。通算成績は24戦6勝(うち海外1戦1勝)、重賞2勝。馬名の由来は「音速の銀」。

 

◆池本啓汰(いけもと・けいた)1994年(平6)5月10日、兵庫県加古川市生まれ。生家の近くに牧場があった縁で競馬に興味を持つ。一時は騎手を志すも身長が伸びたことで断念。専門学校アニマル・ベジティション・カレッジから大山ヒルズとJRA競走馬総合研究所常磐支所を経て栗東トレセンの加藤敬二厩舎へ。同厩舎解散後の18年3月から池江厩舎に所属。