試合前に、NPB引退するDeNAビシエドにベンチで声をかけた。悲しそうな表情だったので、「タンケ(愛称)がもっと頑張ってくれたら、監督をクビにならなかったのに。ご苦労さま」と笑いながら冗談を飛ばしたら、「ケガしてごめんね。(中日が)日本に呼んでくれて、ここまでやれた。本当に感謝している」と笑顔で握手を交わした。
「家族のもとに戻るという決断をしたい」と話していたと聞いた。こちらから、あえて詳しいことは聞かなかった。愛する家族を残し、単身で横浜へきたという覚悟の中で、代打要員としてベンチにいて、チームの勝利に貢献できないもどかしさがあったように感じる。すごくまじめな性格だから、葛藤しながらプレーを続けるのが、つらかったのだろう。
中日で専任監督となった1年目、ビシエドを獲得した。2、3人の候補の中で、獲得をお願いした。広角に打てるスプレーヒッターで、穴が少ないのが決め手だった。4番に起用し、開幕からチームも好調だった。しかしシーズン途中、ビシエドがケガで戦列を離れるとチームも急降下した。
今は冗談で言えるので、いい思い出だ。温厚で誰にでも優しく、協調性があって溶け込むのも早かった。それでいて、思ったことは貫き通す芯の強さがあった。
5月3日のヤクルト戦では、代打で右翼へ本塁打を放った。実力的には衰えが見える場面が増え、周囲の厳しい評価と、まだ自分ではやれるという、温度差もあったとは思う。
7回には代打で登場した。空振り三振に倒れたものの、横浜スタジアムは大歓声。ヤクルトファンからも拍手が起こった。最後にファンが、彼の功績をリスペクトする形ができたのは良かった。(日刊スポーツ評論家)










