「おっはよ~ございま~す!」。

倉敷秋季キャンプ2日目、午前8時半。楽天野村克則作戦コーチ(46)が、おちゃらけ? ながらグラウンドに登場した。「いい朝だね! 練習日和だ!」。早出練習の打撃投手役を務めるため、ぐるぐると肩を回す。約30分ほど丁寧に投げ込む。「ナイスバッティン! 今のだよ!」。打者と会話しながら汗を飛ばした。

2軍バッテリー兼守備作戦コーチから新設の担当となり、最初のキャンプ。三木新監督はもちろん、コーチ、選手とも密に言葉を交わす。「監督はいろんなことを総合的に考えなきゃいけない。僕はそこを先読みしながら、選手やチーム全体にいろんなことを理解してもらう。とにかく会話しないと伝わらないから」。随所に顔を出し、パイプ役に徹する。

信念がある。「根気、情熱、愛情。これがないとコーチはできない。僕らにとって選手はたくさんいるけど、選手にとってコーチは1人しかいないから」。真っ正面から寄り添い、向き合う。

礎は偉大な“野村監督”が築いてくれた。06年に楽天で現役を退き、そのまま2軍育成コーチに就任。指導者転身にあたり、当時の監督、そして父である野村克也氏に説かれた。「コーチは根気強くやらなきゃダメ。そこに情熱がないとやっていけないぞ」。自分なりに解釈した。「プラスして知識も必要。選手それぞれに悩みがあるから」。

野村監督の下で5年間プレー。名物ともいえるミーティングで「ノムラの考え」をたたき込まれた。「よく『ID野球』と言われるけど、僕は『準備野球』だと思う。データはもちろんだけど、当たり前のことを当たり前にできるかどうか。野村監督は『野球は頭でするものだ』と言っていたけど、まさしくその通り」。置かれた状況で最善を尽くす。多量の情報をインプットしなければならない意味を突き詰める。

当時のノートは仙台の球場ロッカー室に置いてある。一生の宝物、財産だ。「たまに見返すよ。もっと早く気づけたかなって思うこともたくさんある」。11年間の現役生活で、苦しんだこともたくさんあった。「今は分からないこともあるかもしれない。選手たちには、なるべく早く気づかせて取り組ませてあげたい」。

4学年下の三木監督とはヤクルトの95年ドラフト同期入団。野村コーチが3位、三木監督が1位だった。時はたち、今季は2軍監督、コーチとして戦った。「今年も一緒にやって2軍で優勝できた。お互いずっと一緒にやってるから目指している方向は変わらないと思う。監督を男にしてやりたいね」。【桑原幹久】

◆野村克則(のむら・かつのり)1973年(昭48)7月23日、東京都生まれ。堀越、明大を経て、95年ドラフト3位でヤクルト入団。阪神、巨人、楽天でもプレーし、06年に現役引退。通算222試合で4本塁打、17打点、打率1割8分5厘。引退後は楽天、巨人、ヤクルトでコーチを歴任。今季は楽天の2軍バッテリー兼守備作戦コーチを務めた。現役時は178センチ、84キロ。右投げ右打ち。