親友たちとの明暗はくっきりとしていた。じっと指名を待ったが、育成ドラフトでも名前を呼ばれることなく「快挙」は幻になった。愛工大名電・伊藤基佑内野手(18)は「終わっちゃったな…というのが一番でした。正直、指名はないかな、と思っていました。みんなが指名されてうれしい気持ちと、自分も呼ばれないかなという気持ちと。悔しさもあります」とドラフト当日を振り返った。

7月、帽子に他界した友人2人の名前を記す愛工大名電・伊藤
7月、帽子に他界した友人2人の名前を記す愛工大名電・伊藤

「みんな」とは中学で所属した東山クラブのチームメート。イヒネ・イツア内野手(18=誉)がソフトバンク1位、内藤鵬内野手(18=日本航空石川)がオリックス2位。同期コンビが上位指名されたが、3人目の伊藤は続けなかった。同クラブの藤川豊秀監督によると、中学軟式クラブ同期の3人同時指名は過去に例がない。

伊藤の実績は輝かしい。中学では3番遊撃で全国準優勝に2度導いた。高校でも2年時から遊撃レギュラーを奪い、2年連続甲子園出場。とくに3年夏の愛知大会は「3番遊撃」で打率6割7分。激戦区を制し、甲子園で8強に進んだ。

「イッツァ(イヒネの呼び名)は身体能力がすごかった。ホウ(内藤)は中学の時に横浜スタジアムでフェンス直撃を打ったり。2人の高校のプレーは動画で見ていましたが、体つきやプレースタイルがすごいなと率直に思いました。自分はそれ以上に飛び抜けたものを出さないといけなかった。全体的にまとまってしまい、逆に目立てなかった」評価が上がっていないことは分かっていた。それでも、プロ志望届を出すことに迷いはなかった。親友の久野晴也さんが、中2の時に水難事故で他界した。小学6年時にドラゴンズジュニアで約3カ月間活動をともにした。中学生とは思えない意識が高い選手で「高卒でプロ」が目標だった。伊藤は晴也さんの両親に「自分が高校からプロに行きます」と約束した。帽子に親友の名前を書き、走り続けた4年間だった。

約束は果たせなかったが、落胆はしていない。大学に進学予定。ドラフト指名漏れを機に、あらためて欠点と向き合った。守備範囲を広げようとトレーニングに励んでいる。「現実的に今の実力だと厳しい。今からどれだけ頑張るかです。大学では1年から出るつもりです」。内藤からは「4年後待っているぞ」と励ましがあった。もう4年、走り続ける。【柏原誠】

2年連続で夏の甲子園に出場した愛工大名電・伊藤
2年連続で夏の甲子園に出場した愛工大名電・伊藤

◆伊藤基佑(いとう・もとい)2004年(平16)8月8日生まれ、愛知県出身。軟式野球「東山クラブ」で中3春の全日本少年、同夏の全日本少年軟式クラブチーム選抜大会でともに準優勝。愛工大名電では2年夏、3年夏と正遊撃手で甲子園出場。高校通算12本塁打。173センチ、76キロ。右投げ左打ち。