5月24日から26日間まで、春季東海大会と近畿大会をはしご取材した。

「智弁」がいっぱい
「智弁」がいっぱい

【24日】

午前7時過ぎ、都内の自宅を出発。東海大会の行われる静岡へ向かうため新横浜へ。「ひかり」で静岡へ。静岡まではノンストップで約40分。あっという間に到着した。改札でフリーライターのNさんと合流。徒歩で新静岡駅へ。静岡鉄道に乗り換え県総合運動場まで約10分。午前9時過ぎ、静岡球児の聖地、草薙球場に到着した。

球場入り口前でいつも通り、沢村栄治とベーブ・ルースの像が出迎えてくれた。1934年12月の日米野球。この地で沢村栄治がベーブ・ルースから三振を奪うなど快投を演じた。歴史ある球場を訪れるのは楽しい。

午前10時、第1試合が始まった。地元静岡の優勝校・浜松商と愛知黎明の一戦。浜松商が5-4でサヨナラ勝ち。16年ぶり出場での白星。浜松商は次の準決勝も勝ち決勝進出。準優勝を果たした。春の快進撃が名門復活への足がかりとなるか。熱狂的な「浜商ファン」も夏が待ち遠しいはずだ。

第2試合は県岐阜商-中部大第一(愛知)。県岐阜商のユニホームを見て驚いた。なんと秀岳館(熊本)そっくりではないか。昨年3月にOBの鍛治舎巧監督が就任。今年で2年目となるが、前任の秀岳館そっくりの新しいユニホームで東海大会に乗り込んできた。春の県大会でユニホームをマイナーチェンジしたとは聞いたが、今回はまさしくフルモデルチェンジ。ブルーのアンダーシャツに黄色のストッキング。まるで秀岳館が東海大会に参加しているかのように何度も錯覚したが、6-2で快勝。試合後、鍛治舎監督の囲み取材に加わった。

ユニホームについて質問されると「このユニホームで負けないでいきたいですね」と笑みを浮かべた。ただそれ以上の質問には「あんまり話したくないです」と制した。伝統のユニホームを変えたことには反対の声も多かったのだろう。

県岐阜商は春3度、夏1度の計4度の全国制覇を誇るがいずれも戦前。「甲子園優勝なんてまだ夢物語ですが、前向きな子が増えてきましたね」と鍛治舎監督。ユニホームを変えることで選手の意識も変えていくのだろう。東海大会は次の準決勝で敗れたが今夏の戦いぶりに注目したい。

取材を終え、静岡鉄道で新静岡へ。JR静岡駅へ向かい翌日の近畿大会に備え奈良入りするのだ。まずは新幹線で京都へ。京都から近鉄電車で橿原市を目指す。

みどりの窓口で新幹線の指定席を取ろうとしたが満席。応対した駅員さんが「自由席の列に早めに並んでください。静岡で大勢降りますから、座れる可能性はあります」とアドバイスを受けた。京都までの自由席切符を購入。改札に向かったが、昼ご飯を食べそびれたことに気付いた。駅構内にある食料品売り場に寄り道。弁当売り場にあったオムライスに一目惚れ。オムライスと缶ビールを買って新幹線ホームへ向かった。

自由席は1~5号車。まだ長い行列はできていない。3号車に乗ろうと列に並んだ。前から3番目。これなら座れるかもしれない。そして10分後、「ひかり」がやってきた。しかし、確かに静岡でも大勢下車したが、それ以上に乗客が多かった。座ることはできず、車内中程の通路に立った。これではせっかく買ったオムライスを食べることができない。

ところが、次の停車駅・浜松が近づくと目の前の乗客が降りる準備を始めた。これはついている。浜松でかなりの乗客が下車し、私は無事、座ることができた。ただ、浜松からも多数の乗客が乗ってきたため再び通路が人で埋まった。オムライスを食べようかと思ったが、我慢することにした。

その後、名古屋に止まって1時間半で京都に着いた。京都から今晩泊まるホテルのある大和八木までは近鉄特急で約50分。全席指定で1780円だった。無事切符を購入し座席へ。ようやくオムライスにありつけた。午後9時前、ホテルにチェックイン。明日も早起きしなければならない。風呂に入って早めに休んだ。

試合後取材を受ける県岐阜商・鍛治舎監督
試合後取材を受ける県岐阜商・鍛治舎監督

【25日】

午前6時に起床。6時半に宿舎を出て大和八木駅へ。ここから佐藤薬品スタジアムのある橿原神宮前駅に向かう。5分で着いた。徒歩で球場へ。すると球場の入り口には大勢のファンが列をつくっていた。まだ7時前である。そう、第1試合は注目の智弁和歌山-智弁学園の「智弁対決」。取材パスをもらおうと球場へ入ったが受付は午前8時からとのこと。仕方がないので玄関前で待機。すると8時10分前に受付を開始してくれた。記者席へはもちろん一番乗り。電源近くの席を確保。大阪本社から来る同僚記者のために隣の席も確保した。パソコンを開き、通信できるかチェック。速報の準備が整った。すると関西在住のフリーライター、MさんやSさんも到着した。

静岡で一緒だったNさんはネット裏に席を取っていた。前日は草薙球場で東海大会の第2試合途中まで観戦。その後京都で途中下車してBCリーグのナイターを観戦。深夜に奈良入りしたという。

試合開始まで1時間。ファンはまだ球場の外にチケットを求めて長い列をつくっていた。高野連の先生に聞くと前夜10時過ぎからファンが並び初めこの日午前6時過ぎには数百人が並んでいたという。関東のファンも熱心だが、関西の高校野球熱も負けていない。

記者席に戻ると、いつの間にか大阪本社のアマ野球担当、M月記者が到着していた。隣の席へ手招きして取材打ち合わせ。するとM月記者は重大なミッションを抱えていることが分かった。この日のテーマは「智弁対決」。見た目はそっくりの両校のユニホームを徹底比較するのだという。

午前10時、試合が始まった。スタンドは満員。外野芝生席も開放された。序盤、智弁和歌山打線が爆発。しかしその後智弁学園が逆転した。試合終盤になって隣のM月記者がそわそわし始めた。

M月記者「どちらのチームを取材しますか?」

私「このまま智弁和歌山が負けたら、和歌山を取材しようか」

M月記者「お願いがあるんですが」

私「なに?」

するとM月記者はプラスチック製の水色の定規を私に差し出した。たぶん学生時代に使っていた文房具だろう。

M記者「これで智弁和歌山のユニホームの胸のマーク『智辯』の文字のサイズを測ってほしいんです」

私「えっ?」

M月記者「私は智弁学園の方を測りますので。無理そうならいいんですけど」

私「分かった。可能ならやってみる」

9-7で智弁学園が勝利。定規をジャケットのポケットに忍ばせて会見場所に向かった。

会見に呼ばれたのは元阪神の中谷仁監督と、東妻純平捕手の2人。まずは監督を取材。注目対決に逆転負けしたとあって笑顔はない。6回途中、東妻捕手をベンチに下げたことを問われると「ずっとこんなゲーム(大量失点)が続いているんです。もう我慢できないので捕手を交代させました。バッテリーの強化を夏までにしないと。彼は捕手になって2年目ですが初めて捕手の怖さを経験していると思う。自分で打開していかないと」。中谷監督も捕手出身。東妻捕手はプロも注目する捕手。兄は昨年のドラフト2位指名でロッテ入りした。何かと注目度が高いが、これも期待しているからだろう。

次に隣にいた東妻捕手を取材。「途中で交代したのは公式戦では初めてです。悔しいですね。一から自分の野球を見つめ直していくしかないです」。うつむきながら一生懸命答えてくれたが、べそをかいているようにも見えた。そんな東捕手に向かって「ユニホームの『智辯』の文字サイズを測らせて欲しい」とは頼めなかった。もちろん監督さんにお願いするわけにはいかない。

10分間の公式取材を終え、智弁学園に付いたM月記者に「ごめん、測れなかった」と報告し定規を返した。M月記者は「分かりました」と定規を受け取り、追加取材が可能な球場隣の広場へと向かっていった。

第2試合の速報準備をするため急いで記者席へ戻った。しばらくしてM月記者も戻った。定規を使ってのミッションは何とか果たすことができたようだ。やれやれ。

第2試合は近江(滋賀)が高田(奈良)を7-4で破った。7回途中から登板した近江の左腕エース、林優樹投手が見事な投球。9回にソロ本塁打こそ許したが3回を投げ5奪三振。昨夏の甲子園でも好投したがひと冬越えてキレ味が増したと感じる。先発も救援もできる器用なサウスポー。高校日本代表に選ばれることを期待。

取材を終え記者席に戻ると高野連の先生から「午後4時45分に記者席を閉めます」との通達。後片付けをして球場を出た。私の仕事は速報なのでこれにて終了。Nさん、Mさん、Sさんと近くの居酒屋さんに行くことに。M月記者は新聞用の原稿を書かなければならず駅前のカフェへ向かった。

居酒屋さんで8時過ぎまで盛り上がり、M月記者に電話してみた。

私「もう終わった?」

M月記者「だいたい終わったんですが、会社へ戻らなければならなくなりました」

私「残念。じゃあ、また明日だね」

M月記者「誘っていただいたのに申し訳ありません」

「智弁対決」でたくさん原稿を書いたのだろう。大阪市内の会社に上がって紙面のチェックもしなければならない。こちらも明日に備え、途中もう1件はしごしてホテルへ引き上げた。

【26日】

ホテルをチェックアウトし午前8時前に球場到着。またまた記者席一番乗り。M月記者の席も確保して試合開始を待った。

前日の「智弁対決」の記事は両校のユニホーム写真を使って日刊スポーツで大きく報じていた。M月記者、ちょっと寝坊したみたいだがよく頑張った。定規で測った「智辯」の文字サイズはほとんど同じだったという。「せっかく測ったので何センチか入れておけばよかったです」とはM月記者らしいオチである。

第1試合は郡山(奈良)と春の大阪大会を制した大商大高。郡山が10-7で打ち勝った。郡山は県大会準々決勝で天理に10-2でコールド勝ち。この試合も打線が火を吹き2本塁打を含む13安打で大阪王者を破った。

試合後は郡山の生島監督を取材。4月に監督に就任。すり足打法を選手に勧めたという。もともとしっかりとスイングできる選手が多かったが、すり足打法の成果で確率が増し見事に強力打線へと変貌した。

第2試合は神戸国際大付(兵庫)-京都国際。私の仕事は1イニングごとに試合経過を速報すること。高校野球は展開が早くプレーを見逃すことも多い。

この試合でも途中、カキン!と金属音がしたので慌ててパソコン画面からグラウンドに視線を移したが間に合わないことがあった。グラウンドを見ていたように感じた隣のM月記者に教えてもらうことにした。

私「今の何だった?」

M月記者「すみません、見てませんでした!」

私「えっ! 見てたじゃん」

M月記者「いえ、見てません!」

我々のやりとりに周囲の記者は爆笑。

併殺打ということが分かって事なきをえたが、彼女の瞳にはいったい何が映っていたのだろうか。謎だ。

取材を終え神戸国際大付の監督のコメントをM月記者に渡し、こちらの仕事は終了。16時53分発の近鉄特急の切符を買っているので、そろそろ引き上げなければならない。記者席へ戻って荷物をまとめ球場を出た。

するとM月記者がいた。

私「電車の時間があるからそろそろ帰るよ」

M月記者「お世話になりました。何かお土産をと思っていたんですが今朝寝坊してしまって。すみません」

私「気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」

昨春の近畿大会(兵庫・明石)で、大阪のISO記者(現阪神担当)から「お土産にどうぞ」と球場クッキーをもらった。そのことをコラムに書いたが、それを知っていたらしく「私も何かお土産を」と思ったらしいのだ。

M月記者「夏の甲子園は来られますか?」

私「うーん、まだ分からない。でも秋の近畿大会は来たい。この球場でやるんでしょ」

M月記者「はい。ではまた」

私「取材、頑張ってね」

M月記者と再開を約束して駅へ急いだ。

橿原神宮前駅で名物の柿の葉寿司をお土産に買って近鉄特急へ。京都で新幹線に乗り換え新横浜に8時過ぎに到着。9時過ぎに自宅到着。2泊3日のはしご出張が終わった。

智弁対決を報じた5月26日付日刊スポーツ大阪版紙面
智弁対決を報じた5月26日付日刊スポーツ大阪版紙面