1964年、南海との日本シリーズに登板する著者
1964年、南海との日本シリーズに登板する著者

野球用品-。プロ野球界の選手が試合で、練習で使用する商売道具。自分の生活を懸けてお金を稼ぐ大事な物。日本でも全ての用具を製作していたが、本を正せばアメリカで産声を上げた競技。本場の商品に一日の長があって当たり前。選手にとってもプロである以上、ファンにいいプレーを見せたい。品質にこだわって当然だし、使いやすい自分に合ったグラブやバットを選んで使用する。切っても切り離せない選手と野球用品の関係。今と昔を語ってみよう。

用具の主立った物といえばグラブにバットだろうが、今や日本製品の品質は本場アメリカと肩を並べた。というより、上回るまでに発達したと聞く。

来日している外国人選手が日本製品を好んで使用しているのがその証し。研究熱心な日本人技術者の努力のたまものだが、変われば変わるもので、我々の時代はプロの選手として、舶来品を愛用するのが憧れでありステータスだった。私もやっと4年目にしてスポルティングのグラブを手にしてマウンドに上がった。確かに優越感に浸り、自分が大きくなったような気になった記憶がある。

当時の輸入品は少々値は張ったが、アメリカ産のグラブにはそれだけの値打ちがあった。グラブの真ん中に革を保護する油が敷いてあって、使用している内にその油が程よく革ににじんで乾燥を防ぎ手になじんでくれた。長持ちもする。反面、当時の日本製にはまだ油を敷くまでの技術はなかったのだろう。使用後にはドロースなどの油を塗る手入れが必要。手入れを怠ろうものなら、革の表面がカサカサに乾燥し手にしっくり来ないどころか、傷むのが早かった。バットは弾きの問題。私にはいまひとつよく分からなかったが、バットは乾燥していた方が良く、こちらもやはり舶来品に人気があった。

日本製と舶来品。激しく売り上げを競っていたが、日本製品の向上でシステムが変更。メードインジャパンが主流となって現在がある。ユニホームの上下、ウインドブレーカー、帽子の球団支給には変わりないが、現在はその他の用具は選手個々で、各スポーツメーカーとアドバイザー契約を結び、契約したメーカーからアドバイザー料として、用具が支給されるシステムになっている。グラブやバットの破損以外にも、しっくり来なかったり違和感を持つような用具であれば、無償で交換してくれるし、修理もしてくれる。

我々の時代、自費で購入していた商売道具は、グラブ、バット、スパイク、アンダーシャツ、アンダーソックス、パンツ、ベルト、スニーカー……。数えればきりがない。当時は考えたことなどないが、きっちり揃えておくべきものであり、こうして羅列してみると、結構お金がかかったのがよく分かる。苦しかったことが多々あった。

懐かしいね。若かりし頃である。若気の至りとでも言おうか。映画観賞あればパチンコあり、当然のように食事に行けば、お酒を飲みにも行った。月によっては借金を払うのが厳しいときもあった。そういえば運動具屋さんに最敬礼して、その場のピンチを逃れた月もあったね。今、振り返ると懐かしく思えるが、反省しています。野球選手が野球用品を購入しながら、そのお金が払えないなんてもってのほか。一流を目指しながら、一流に手が届かなかったのは、心がけの問題だったのかも……。

今と昔、現在の選手を見ていると、グラウンドへ出て行くときの荷物の多いこと。尋常でない大きなボストンバッグに野球用品をいっぱい詰め込んで持って行くし、他にもバッグをぶらさげている。我々の時代は、どちらかといえば少しでも荷物を少なくして球場に出たものだが、この差って何だろう。必要な道具は全て支給してくれるし、物資が豊富な時代と、自分で購入し無駄なものは持たなかった時代の違いだろう。幸せな時世になりました。【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)

ミズノブランドアンバサダーズミーティングでグラブを手に取る阪神福留孝介(左)と高山俊(2017年12月8日撮影)
ミズノブランドアンバサダーズミーティングでグラブを手に取る阪神福留孝介(左)と高山俊(2017年12月8日撮影)