1988年(昭63)夏、公立校が甲子園にさわやかな風を吹かせた。
ミラクル連発で南北海道大会を制した初陣の札幌開成は、1回戦で最速148キロ右腕、川崎憲次郎(元ヤクルト、中日)を擁する津久見(大分)と対戦する。後の沢村賞投手を相手に1歩も引かず、1-4。敗れてなお、進学校の知性と意地が光った。
1回、試合開始のサイレンが鳴り終わるのを待たずに、主将の川村卓(現筑波大監督)は、川崎の初球を振り抜いた。見事なセンター返し。「飛んだコースが良かったんです」と謙遜するが、明確な読みがあったからこそ、思い切りバットを振れた。
対戦が決まった後、入手した相手のビデオを全員で分析していた。「140キロ超えというだけでもすごいのに、予選の5~6試合で1つも与四死球がない。『これ、どうする? 甲子園はコールドがないしな…』なんて話が出るほどだった」。見れば見るほど、川崎のすごさが際立つ中で、あることに気付いた。プレートの立ち位置で、投げるコースが丸わかりだったのだ。緊迫した甲子園初打席の中でも、川村は剛腕が一塁側のプレートを踏んだのを、見逃さなかった。
「技術差はあっても、内面に差はない。同じ高校生じゃないか」。主将の先制パンチで奮い立った打線は、5番前多隆志(現札幌開成監督)の三塁ベース直撃の内野安打で、この回、1点を先制。2回以降は好機で1本が出ずに逆転負けを喫するが、センバツ以降、公式戦で2ケタ安打を許してなかった川崎から11安打を放った上に、7回には7番簾内義隆(現小樽潮陵監督)が死球を受けて、プロ注目右腕の連続イニング無四死球を止めるなど大健闘した。
3年生は10人だけだったが、結束力は強かった。練習法も自主性が重んじられ、分析したデータをもとにアイデアを出し合って強豪校を倒す力を蓄えた。札幌の公立校としては、半世紀ぶりの甲子園出場。「みんな勉強道具を持って行ったけど、実はやってない。やる気なんて、起きませんよ」。野球だけに向き合った熱い夏。45歳になった川村は、そう種明かしをして、楽しそうに笑った。(敬称略)【中島宙恵】
◆VTR 札幌開成は1回、先頭打者の川村卓が初球を中前打し好機をつくり、前多の幸運な三塁内野安打で、津久見のエース川崎から1点を先取。4回2死から3連打、8回も2死から2連打するなど剛腕相手に計11安打を放ったが、2回以降は決定打が出なかった。3回に4長短打で逆転を許した左腕エース熊木は、5、8回と被弾も、スローカーブ主体に102球を投げきった。
◆公立校の活躍 道勢公立校の選手権初勝利は1921年(大10)夏の函館中(現函館中部)だが、この時は鳴尾球場で開催のため、甲子園初勝利となると27年(昭2)夏の札幌一中(現札幌南)となる。52年夏の函館西は、1回戦で延長12回日没コールドを経て再試合で勝利し、8強入りした。函館西のほか、夏は23年函館商、46年函館中、48年函館工が準々決勝へ進むなど、函館勢が道内公立校をけん引。センバツでは65年に苫小牧東が8強入りした。

