あの“清原”が、聖地に帰ってくる。慶応(神奈川2位)が昌平(埼玉1位)を下し、5年ぶりとなる来春センバツ出場に当確ランプをともした。

西武、巨人などで通算525本塁打と活躍した清原和博氏(55)の次男・勝児(かつじ)内野手(1年)は「6番三塁」でスタメン出場。同点を演出する犠打を成功させるなど、勝利に貢献した。父がその名をとどろかせた夢の甲子園出場を決め、歓喜した。

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1985年(昭60)夏。父は2度目の全国制覇に涙を流し、甲子園を去った。あれから38年。球児たちの聖地に“清原”が戻ってくる。勝利が決まり、三塁の清原はグラブを強く3度たたき、両手を握り締めて喜びを表した。スタンドで父が見守る中、来春センバツ出場を当確とした。「うれしいです。もっと成長していかないといけないなと感じました」。いつも試合を見に来てくれる父に、結果で恩返しを果たした。

甲子園通算歴代最多となる父が放った13本塁打の映像を、何度も見てきた。自身が生まれるはるか前の出来事だが「レフトに本塁打を打った映像が印象的」と、脳裏にはっきりと刻み込まれている。夢は甲子園での親子本塁打。「それはもちろんあります」。18年の春センバツ、慶応の先輩たちの応援で1度訪れたという憧れの舞台。「すごい所だなと。自分もそこでプレーしたいなと、その時初めて思いました」。目標がかなう時が来た。

この日は緩い変化球中心の配球に苦しみ、4打数無安打に終わった。1回戦に続くアーチをかけることはできなかったが、1点を追う2回無死二塁の第1打席。1球で犠打を投前に決め、続く7番延末の同点適時二塁打を呼んだ。この秋、意識を高く練習してきたバントの成功に「練習の成果が出たと思います」とうなずいた。森林貴彦監督(49)は「相手が想像しづらい攻撃をするのが大事だと思っています」とチームに貢献する働きにうなずいた。長打から小技まで、監督の期待する下位打線としての役割をこなしている。

大一番を制したが、現状には満足していない。清原は「あくまで自分たちの目標はあと2つ勝って、関東を制覇して明治神宮大会に出ること。しっかりと次に向けて集中したい」と引き締める。次戦はプロも視線を送る好投手・平野擁する専大松戸と対戦する。本格派を打ち破り、センバツ出場の糧とする。【阿部泰斉】

◆PL学園・清原の甲子園 エース桑田真澄とともに1年の83年夏から5季連続出場。83、85年夏優勝。出場全試合で4番を打ち、通算26試合で91打数40安打(打率4割4分)、13本塁打、29打点。通算13本塁打は2位の6本(桑田真澄、元木大介、中村奨成)を大きく引き離す最多記録。

◆清原勝児(きよはら・かつじ)2005年(平17)5月1日、東京都生まれ。幼稚園年長から野球を始め、小学時代はオール麻布でプレー。小6時、ジャイアンツジュニアに選出。中学時代は世田谷西シニアでプレーし、慶応では今秋からメンバー入り。名前の由来は「勝つ、こどもで勝児」。173センチ、80キロ。右投げ右打ち。兄は慶大2年の正吾内野手。

○…強打の昌平に粘り勝ち、センバツ出場を決定的とした。1年生右腕の小宅雅己投手が、16安打を浴びながらも3失点で完投勝利。森林監督は「16本も安打を許して、関東大会で勝ち投手になった選手はなかなかいないんじゃないですかね」と苦笑いも、これには意図があった。「昌平さんは強打。封じ込めるのは難しい。幸いリードがあったので、外野を深めの守備隊形にしたんです」。単打OKの「長打封じ」がスーパーシード撃破につながった。

◆センバツ出場枠 関東大会は、来春センバツ選考の参考資料となる。来年は第95回記念選抜高校野球大会のため、一般選考での出場枠は例年より1校多く関東・東京で7校となっている。関東は5枠となり、例年関東大会で4強に入ればセンバツ出場が当確。準々決勝敗退となった4チームから残り1チームが選出される見込みだ。東京大会の優勝校も当確で、残り1枠は関東大会と東京大会の上位進出チームを比較して選出される。

◆慶応 福沢諭吉が1858年(安政5)に創始した私立校。野球部は1888年(明21)創部。甲子園に春9度、夏18度出場し、1916年(大5)夏に優勝。プロ野球現役OBはヤクルト木沢、阪神山本、広島矢崎、ソフトバンク柳町、正木、楽天津留崎、ロッテ植田。所在地は横浜市港北区日吉4丁目1番2号。