<バッセン巡り>

月に1回、首都圏のバッティングセンターを訪問する第3弾は、栃木県宇都宮市の「ミヤバッティングスタジアム石井店」です。70メートルは飛ばさないと当たらないというホームランボードを狙いにいったところ、待っていたのは地元の5人の投手でした。

      ◇       ◇

昨年末、水戸市の「駅南バッティングセンター」でホームラン賞をいただいた。当たり損ねが幸運にもホームランパネルをとらえたのだが、年を越しても興奮が冷めない。今度は会心の一撃でぶち当てたい。選んだのは宇都宮市のミヤバッティングスタジアム石井店。パネルが約60メートル先、高さ15メートルの2カ所に掲げられている。鈴木一泰店長(55)は「70メートルは飛ばさないと当たりませんね」という。現役少年野球コーチは、52年の人生で最も広いバッセンに足を踏み入れた。

石井店は4台の動画マシンがあり、現在5人の投手が“登板”している。プロ野球の人気投手だったり、「キティちゃん」などキャラクターが投げる動画はよくあるが、5人は地元の小学生や草野球の投手だった。希望があれば、無料で地元選手の動画マシンを製作している。

このサービスを始めたのは12年前。系列の北若松原店の動画マシンを一新するにあたり、既存のメーカーの見積もりは数千万円だった。ならば自分たちで作ってしまえと、開発に着手した。2つの店舗は社員だけ8人が勤務する。技術開発の経験者はいなかったが、マシンが故障した際は、必ず自分たちで直してきた。岡田伸太郎常務(48)は「電気系も溶接もなんでもやってきた。社員だけだから、他に頼らず何とかしようと乗り切れたのかな」と当時を懐かしむ。画面は65インチの巨大液晶テレビを使うと、従来より鮮明になった。難航したマシンのアームと動画を合わせる作業をクリアして、「ハイビジョンピッチング映像システム」を完成させた。

プロ野球投手の動画を使うと使用料は莫大(ばくだい)だった。そこで、常連の草野球投手に撮影を依頼した。「地域密着マシン」は地元のお客さんを喜ばせ、業界内の話題になった。ついには、新システムへの問い合わせが届きだし、全国8店で導入され、新ビジネスに結びついた。

70メートルかっ飛ばす前に、開発までのサクセスストーリーに酔いしれた。お待たせしました、宇都宮のエースたちと対戦だ。5人のうち4人が小学生。2番打席の清原中央ジャイアンツ・米倉新太投手(球速85キロ)と顔を合わせる。動画に合わせてタイミングをとるが、つい「どんなフォームだ」と見入ってしまい、ボールの出所に集中できない。凡打は続くよどこまでも。

3番打席は左投手のライオンズベースボールスクール・田代剣芯投手(同75キロ)、6番打席で草野球チーム「人気者」の紺多隆司投手(同100キロ)と対して、じょじょに芯でとらえはじめる。が、打球はパネルのかなり手前でおじきする。隣で打ち込む中学生が、パネルをかすめるように飛ばすのに。

クローザーは清原東学童野球部の山崎琉正投手(同90キロ)。スリークオーターの右腕だ。何だか背中の方からボールが来る感じ。そういえばもう10ゲーム目、250球か…。雑念を振り払うが、バットは振るわない。腰が砕け、夢も砕けた。最後はバットを投げ出すような空振りだった。

1977年(昭52)のオープン当時、宇都宮市内には十数店のバッセンがあった。今は「ミヤ-」の2店舗だけになった。東日本大震災が発生した11年3月11日は、北若松原店の硬式球マシン導入初日だったが、利用者はいなかった。社員一丸の創意工夫と地域密着で乗り切ってきた。作新学院の甲子園優勝投手、西武今井達也(21)も来店客の1人だ。鈴木店長は「お客さんの笑顔と『楽しかった、また来ます』の声が何よりです」という。笑顔を求めて、宇都宮のエースたちに球数制限はない。【久我悟】

◆株式会社ミヤバッティングスタジアム 1977年(昭52)7月に創立。1ゲーム25球、350円。メダル4ゲーム分購入で1ゲームサービス。記録が残る12年以降、年間最多本塁打は2352本。昨年は1474本。個人は年間243本が最多。現在、店の年間通算10本ごとの的中者にメダルサービスを実施中。営業時間午前10時~午後10時。週末は午前9時から。石井店は宇都宮市石井町2595の2。国道4号と123号の交差地点。JR宇都宮から関東自動車バス・岡西停留所下車。