阪神矢野燿大監督は解説者1年目だった11年6月に宮城・気仙沼を訪れた時の光景がいまだに忘れられない。

「俺も(東北福祉大時代に)仙台に住んでいたから。(津波で)こんなところにでっかい船がどこからどう来るのと。悲惨な状況。景色もそうだけど、いろんな臭いもあった。あそこに行かないと分からない。言葉を失うというのはあれが初めてかもしれない」。その時、被災した子どもたちと野球をした。「その瞬間、笑顔になっていたり、震災を忘れる瞬間になっていたと思う。10年たってもそこは変わらない」。

被災地へ行くことはできないが、今季も元気なプレーを見せることで、勇気や笑顔を与えられればと願っている。95年に起きた阪神・淡路大震災も踏まえ、「画面を見たり、球場来たりする中で1歩前に出てみようかなと思ってもらうことが大事。そういうところにタイガースというのはありたい」と改めてその思いを胸に刻んだ。

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