連覇支えた「村神様」ヤ!! 優勝マジック2のヤクルトが、2位DeNAを劇的なサヨナラで破り、2年連続9度目のリーグ優勝を本拠地神宮で決めた。

ここまで日本選手最多の55本塁打を放っている村上宗隆内野手(22)が、不動の4番として圧倒的な打力に加え、強い責任感で名実ともにチームの中心として存在感を発揮。野村監督時代の92、93年以来となるリーグ連覇に大きく貢献した。

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自らの本塁打に表情をほとんど崩さない村上も、優勝の瞬間だけは格別だった。二塁後方の歓喜の輪に笑顔で飛び込むと、サヨナラ打の丸山和と抱き合い、涙する山田と熱い抱擁を交わして雄たけびを上げた。胴上げでは「天まで飛ばしてやろうと思っていきました」と、高津監督を神宮の夜空へ高く押し上げた。

記録的ペースでアーチを量産。ファンやメディアから「村神様」と称され、個人記録ばかり注目されたが「フォア・ザ・チーム」の精神と、強い責任感が根底にある。7月。高津監督をはじめ、山田、青木ら多数のコロナ感染者が出る窮地では「こういう時だからこそ、より一層、団結してやることで力は大きくなる。その中心に僕がいることは本当に自覚しています」と覚悟を示した。それでも苦戦が続き「僕は打てなくてもいい、チームが勝てないのがしんどい」と指揮官に漏らしたこともあったが、「泣き言を言うんじゃない。そんな姿を見せるな」と激励され奮起。主力不在の中でチームを支えた。

今季の欠場は1試合だけ。9月2日中日戦で50号本塁打に到達した際は高津監督も「あの場面(1死一、三塁)で外野フライで1点取ったとしても彼は喜んだと思います。それくらい『フォア・ザ・チーム』で考えている男」と記録以上に戦う姿勢を評価。同12日DeNA戦では死球を受けて途中交代。それでも翌13日巨人戦は「(痛みは)多少はありますけど全然動ける範囲なので」と出場し、55号本塁打を放ってみせた。

強いリーダーシップと仲間思いは中学時代に原点がある。熊本東シニアでは捕手で主将。ノックから「元気出して! もっと前に!」と大きな声を出し、試合では仲間に守備位置を指示。四球や失策で走者が出れば、タイムをとり投手に声をかけた。当時の吉本幸夫監督(66)は「私が指示しなくてもね。ああいう選手はなかなかいなかったです」。当時も今も、味方の好プレーを自分のこと以上に喜ぶ姿に「全然変わってないね。中学の時のまま大きくなって」と笑う。

この日は4打数無安打。55号を放って以来、9試合40打席ノーアーチは続くが、最大の目標だった優勝達成の前には取るに足りないことだ。「打てる日があれば打てない日があり、すごく難しい。こうして最後、優勝してみんなで喜びを分かち合って。この瞬間があるから苦しい時も耐えられます」。打席での勝負強さに、精神的たくましさを備えた22歳。神宮の夜空の下に、最高の笑顔が輝いた。【鈴木正章】

○…山崎晃大朗外野手が塩見に代わって1番に入った。シーズン中は主に2番として起用。365打席、85安打、36打点、10盗塁と、いずれもプロ7年目でキャリアハイをマークした。山崎は「(4番)村上にどういうシチュエーションでつないでいくか、そういうことばかり考えていた。村上が離脱しないでくれたのはチームとして大きかった」と、つなぎ役をまっとうした。

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