日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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プロ野球の歴史の転換点を見届けるために札幌入りした。日本ハムが札幌ドームと決別。04年に東京ドームから移転し、19年間のフランチャイズに幕を下ろしたのだ。

9月28日。札幌ドーム最終戦(対ロッテ)を前に、ビッグボスが重大発言を予告したこともあってか、断然の最下位なのに、約4万人を集客するのだから驚いた。

移転当時の道内は、ほとんどが巨人ファンと言われていた。プロ野球が開催されても、照明設備のない札幌円山球場でのデーゲームだから、ナイターにもなじみがない。

しかし、日本ハムは北の大地にしっかりと根付いた。札幌初年度から、トレイ・ヒルマン、梨田昌孝、栗山英樹が率いて5度のリーグ優勝。地域密着でプロ野球未開の地を開拓した功績は大きい。

一方で、球場使用料、飲食、グッズの物販収入などは、球場を管理・運営する市の第3セクター「札幌ドーム」に吸い上げられていたから、球団経営の“重し”になっていた。

これまでに日本ハムが値下げを要求しても、逆に市からは値上げを提示されたというから、結果的に行政側の経営感覚が疑われても仕方がない。ついに札幌ドームは日本ハムに逃げられたのだ。

高くそびえるフェンス、客席から遠く感じるグラウンドは、完成当時の大阪ドーム(現京セラドーム大阪)がダブった。大阪ドームは改修を重ねたが、来年から年間売り上げの激減が予想される札幌ドームは、後の祭りだ。

日本ハムが札幌移転計画を明らかにした際には、ホテル事業などを展開し、準フランチャイズ化を狙う西武から反発を受けた。西武の総帥・堤義明が容認し、日本ハムの念願がかなった経緯がある。

苦難を乗り越えながら球団経営を維持してきたのは、日拓ホームフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズの礎を築いた創業者、伝説の初代オーナー大社義規が信念を貫き続けたからだろう。

来年から本拠地になる新球場「エスコンフィールド北海道」に立つビッグボス改め新庄剛志は、ファンに「来年、指揮をとってもいいですか?」と信任を問う形で続投への支持を得た。

最後まで異例ずくめの新庄劇場。熾烈(しれつ)なV争いを演じる熱パを横目に「来年は2位も6位も一緒。日本一だけを目指します」と逆襲宣言。真価が問われる背水イヤーになる。(敬称略)