もしも時を戻せるなら。7日目に引退届を提出、受理された、最高位西十両7枚目の朝弁慶(35=高砂)は、17年4カ月の力士人生の後半、大部分をそう思って過ごしていたという。十両を通算8場所務めたが、その6場所目だった16年秋場所4日目。大輝(現前頭北勝富士)に敗れ、土俵下に落ちた際に「バキッ」という音を初めて聞いた。直後に激痛が走った。右膝半月板断裂だった。膝痛との長い闘いの始まりだった。
当時は東十両11枚目で、この黒星で2勝2敗となった。大きく負け越せば幕下転落は必至。朝弁慶は「どうしても落ちたくなくて、痛くても出続けて…。今思うとあそこが転機。思い切って休んで治していれば。それが1番の心残り」と、無念の表情で振り返った。
この場所を4勝11敗で幕下転落。191センチ、186キロの体を生かし、その後、2度十両に復帰したが「自分の相撲ができず、かばって左膝も痛めた」。先場所全休後、5月29日に右膝を手術したが、相撲を取るまでには回復せず、引退を決めた。柔道で大学進学が決まっていたが、先代高砂親方(元大関朝潮)に「柔道じゃあ、メシ食えんぞ」と言われ、当時高砂部屋の横綱朝青龍に初対面で小遣い1万円をもらって入門を決意。「何度も後悔したけど、すてきな部屋だった。けがした時の判断も後悔したけど、その経験が生きる時が来れば」。入門から8年半で新十両。後悔や回り道は糧になると知るからこそ、最後は笑って角界を去った。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)


