プロレスラー大仁田厚が7回目の…そして最後の引退を決意した。全日本プロレスに入門し、1974年(昭49)4月14日に佐藤昭雄戦でデビューした思い出の東京・後楽園ホールで、31日に「さよなら大仁田、さよなら電流爆破 大仁田厚ファイナルツアー」を開催。藤田和之(46)と6人タッグマッチを行う。レスラー人生43年に幕を下ろす大仁田が、還暦を迎え、引退を決めた思いを告白する。第1回のテーマは、引退と復帰を6回、繰り返した理由。
-◇-◇-◇-◇-◇-
引退が目前に迫った夜、都内某所に現れた大仁田は両足を引きずっていた。車から降りると1度、腰を引いて体の後ろに重心を移しつつ、確かめるように両膝に手を当てた。しばし、その場に立ち尽くすと、目をつぶり、眉間にしわを寄せて頭を振った。
大仁田 地方の大会でエルボーを食らってから、首と頭が痛いんだ。体はボロボロ…両膝も、抜けそう。3年近く前…そして1年以上前に、膝を内視鏡で洗ったんだ。体は限界に近い。
14年5月に、両変形性膝関節症(軟骨損傷)と診断され、緊急手術を行った両ひざは、靱帯(じんたい)も損傷している。16年8月に右尺骨、同11月に左かかとを剥離骨折、同12月に腰椎を骨折し、右手には手術でチタンの板を入れた。そこを2月に爆破王選手権奪回に成功した船木誠勝戦で再び痛め、右尺骨骨幹部を骨折。7カ月で4度、骨折した。
歩く際、時に抜けそうになるという膝は、最初の引退の引き金となった。1983年(昭58)4月のヘクター・ゲレロ戦後、左膝蓋(しつがい)骨粉砕骨折の重傷を負った。付け人も務めたジャイアント馬場さん(享年61)に引退勧告されて、85年1月3日に後楽園ホールで引退式を行った。にもかかわらず、1989年(平元)年にFMWを旗揚げした。馬場さんの引退勧告を受け入れて、1度は決めた引退を翻さざるを得ないほど、人生の崖っぷちに追い込まれていた。
大仁田 (引退の原因になった)ケガは、あの頃は、今みたいにきれいなサポーターとかいろいろなものがないから、自転車のチューブを足に巻いて試合をした。痛くて…あぁ、これじゃあやっていられないなと、自分の中で限界を感じた。(全日本で引退した後)宅配便の配達から土木作業員から、全部やったもん。中卒だったから、履歴書を持ってバーッと回っても、どこも雇ってくれない。それで新宿の1番、端のベンチで缶コーヒーを飲みながら、どうしようかな…もう1回、プロレスをやろうか、と。だって、生きるため、生き残るためには、どうすればいいんだろう…と。(復帰の考えは)そこから生まれたんです。でも、全日に戻ることも出来ない、どこも拾ってくれるところはない…自分でやるしかない。
そのFMWでは、1995年(平7)5月5日に「大仁田厚 引退試合」を開催し、故ハヤブサさん(享年47)と対戦した。川崎球場の観客動員記録となった、5万8250人を集めたが、その裏で肉体はボロボロだった。
大仁田 2回目で頂点の状態で辞めた。でも、当時は年間200数試合やって、毎日、毎日、流血…。頭痛や吐き気がするわ…メチャクチャ。このまま、死ぬしかないのかと…それが引退を決断した理由。敗血症で死にそうになって、初めてICUのベッドから降りた時に、うんこしちゃって。あぁ…デスマッチがいき過ぎて、このままだと、俺は死ぬことを選択しないといけないなと。今まで応援してくれた人が、死を見せて喜ぶかなと。その世界まで、本当に行っちゃっていたし、やるしかなかった。死を選ぶのか、生きている姿を見せるのかの二者択一…生きていなければ何も表現できない(から辞めた)。
にもかかわらず、翌96年12月11日に駒沢オリンピック公園体育館で行われた、故ミスター・ポーゴさん(享年66)の引退試合8人タッグマッチで2度目の復帰をした。宿敵ポーゴさんの引退試合ということで依頼されての復帰だったが“涙のカリスマ”と呼ばれた大仁田が、プロレスファンから「ウソつき」などとたたかれるようになった。1998年(平10)11月には、当時筆頭株主の立場にあったFMWの全選手から「新生FMWとしてやりたい」と言われ、創設者ながら追放された。そこで、翌99年1月に、たった1人で新日本に参戦した。
大仁田 俺はFMWを追い出された人間だからね。こいつらとは、やれないなぁ…と思い、そのまま1人で新日本に殴り込んだわけだから。それが真実だよ。
その後も引退、復帰を繰り返すこと計6回。インターネットの普及とともに、大仁田は何かニュースが出るたびに“引退するする詐欺師”などとたたかれ続けた。にもかかわらず、なぜリングに立ち続けたのか?
大仁田 自分の中で生きていくためには、プロレスをやるしか、しょうがなかった。プロレスが好きだよ…だから、プロレスが生きること、そのものだった。それなのに6回、引退を繰り返して今回、7回目の引退だからって、ウソつきだ何だと言われる。俺は、素直に生きているだけ。生きるのを辞めろって言うの? 俺には、あれだけ熱狂させたファンがいる。(過去6回も引退して)ブレるとか、みんな言うけど…ブレ方、知らないよ。どうブレていいか分からない…批判もたくさんあるかも知れないけれど全部、自分で決めているし。ここに来て、各会場で何人か、みんなカミングアウトしているよ。「何十年、見てますけど…僕は大仁田さんに救われました」って。
次回は大仁田が代名詞の「有刺鉄線電流爆破マッチ」誕生秘話を語る。【村上幸将】

