力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなりました。享年88歳。日刊スポーツでは、デストロイヤーさんが現役引退した93年7月に連載を掲載しています。今回追悼をかねて復刻版として再掲載します(年齢などは当時のまま)。

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29日の全日本プロレス東京・日本武道館大会で現役引退をするデストロイヤーは「日本のファンは望まないだろう」ということで、マスクを脱ぐことはない。1963年(昭38)の初来日時は「白覆面の魔王」の異名をとったが、マスクの下は質素な努力家だ。一生懸命日本の生活に溶け込もうと努力した。

現在も全日本プロレスの売店では元気に白マスクを売っているが、73年から79年の日本滞在中には東京・港区麻布の夏祭りで、ホットドッグ店を開店していた。地域住民とのコミュニケーションを目的としたものだったが、デストロイヤー自らがつくってくれるとあって人気があった。また、米アクロンの自宅には日本式の木のふろをつくってもいる。日本から持ち帰った日本人形も部屋にディスプレーし、オリエンタルムードに一役買っている。

子供時代は、ドイツ系移民ということでいじめられもした。貧困のどん底で兄弟で一つのベッドを共有していた。その経験から現在も暮らしぶりはつましく、庭には家庭菜園もある。奨学金を得てニューヨークのシラキュース大大学院を卒業したインテリレスラーということで、「ザ・インテリジェンス・センセーショナル・デストロイヤー」というリングネームを使わせたがったが、仕事を離れるとそれをひけらかすことは全くなかった。日本では84年6月に、ベースボール・マガジン社から自伝「4の字固めのひとりごと」を出版。口だけではなく、形としてインテリぶりを示した。

61歳という現在まで現役を続けられた裏には、徹底した節制と、自己管理があった。「強いアルコールは体に悪い」と、酒はビールだけをたしなんだ。

来日回数がデストロイヤーを超える外国人選手は数多くいるが、これほど日本に親しんだ選手はいない。「チャンスがあったらまた試合をしたい」というデストロイヤーの名前は、白覆面とともに、永久に日本のプロレス史に残るだろう。

【川副宏芳】

(おわり)