横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)が現役引退を発表し、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)同席で、両国国技館で会見した。今後は伊勢ケ浜部屋の部屋付きで「照ノ富士親方」として、後進の指導にあたる。
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横綱照ノ富士の現役終盤は、常にケガとの戦いで本音を語ることが少なかった。地方場所では稽古を終えた横綱の周りを記者たちが囲み、稽古場から宿舎まで「ぶら下がり取材」を行うことがよくあった。2場所連続全休中だった2023年3月の春場所前もそうだった。
報道陣の質問に対しては「親方に聞いてよ」「俺はしゃべらないよ」と答えるだけだったが、その声色には怒気がなく、表情は悟りを得たかのように穏やかだった。ふいに横綱の口から、どこかで聞いたことのあるバラード調の歌が聞こえてきた。「何も聞こえない~」「何も聞かせてくれない~」。メロディーに合わせて微かに耳にした歌詞をノートに記すと、すぐに分かった。徳永英明の「壊れかけのRadio」だった。
90年7月に発表され、33万枚を売り上げたヒット曲。照ノ富士が生まれる前の作品だ。モンゴルから日本へ来て覚えたのだろうか。それにしても取材中に、とっさに口ずさんだ曲が「壊れかけのRadio」だとは…。壊れかけた自身を暗示しているように思えてならなかった。
当時の横綱は22年秋場所を途中休場し、その後2場所連続で全休中。慢性的な両膝の痛みや腰痛の悪化に加え、糖尿病という持病も抱えていた。あの歌には、満身創痍(そうい)で土俵に上がる横綱の心情がにじんでいるように思えた。結局、春場所も全休を余儀なくされたが、そこからの復活劇は見事だった。
次の夏場所では14勝1敗で優勝。ケガに苦しむ日々が続く中、休場を挟みつつもさらに賜杯を2度抱き、念願だった優勝10回にも到達した。大関から序二段まで落ちながらもカムバックを果たし、3年以上にわたり1人横綱として角界を支え続けた。
「道を探してきた汚れもないまま」たどり着いた先に、照ノ富士は何を見たのか。現役生活に別れを告げる横綱から「本当の幸せ」を教えてもらいたい。【22~24年大相撲担当=平山連】

