二子山審判委員(元大関雅山)が4日目から体調不良で休場したことにともない、5日目は出羽海一門の審判委員がカバーし合った。

通常、朝一番目の審判団はそのまま業務を終えられるところを、大鳴戸親方(元大関出島)は4番目の審判にも入った。また、雷親方(元小結垣添)は幕内後半戦も含め、1日に3回も審判に入った。

大鳴戸親方は「明日は我が身だし、僕自身もそうなるかもしれない。(休場が)悪いわけでも何でもない。元気になってもらうのが一番」と二子山親方の体調を思いやった。4日目に代役を務めた清見潟親方(元関脇栃煌山)は「助け合ってやることですから」と話していた。

6日目からは、二十山親方(元小結栃乃花)が交代で入る。尾上審判部長(元小結浜ノ嶋)は「(代役は)いつまでかは分からない。(二子山親方は)無理しないでほしい」と気遣っていた。