98年の長野オリンピック(五輪)で忘れられないのが、スキージャンプ原田雅彦の泣き笑いだ。団体1本目では失敗ジャンプに泣き、2本目では一転、最長不倒を記録して金メダルに貢献した。ジャンプ後の自失したような姿、「ふなきぃ~」の奇声を思い出される人も少なくないはずだ。

この4年前のリレハンメルでは、団体大本命と言われながら、原田の失敗ジャンプで2位にとどまったこともあり、5年越しの起死回生となったわけだ。

天才的に飛距離を伸ばしながら、時に大失敗もしでかした原田の「波」はいくつかの悲喜劇を生み出した。リレハンメル団体で自身は「金」当確の大ジャンプを飛びながら、原田の失敗によって「銀」に泣き、さらには長野の団体メンバーからは漏れてしまった悲劇のジャンパーが2人いる。後にレジェンドと呼ばれる葛西紀明、そして西方仁也だ。

「ヒノマルソウル 舞台裏の英雄たち」(近日公開)は、その西方にスポットを当て、友人原田への複雑な思い、そして裏方として長野金に貢献した秘話を明かす。

リレハンメルの雪辱を誓い、長野五輪に向けて猛練習に励んできた西方だが、舩木和喜ら若手の台頭で代表メンバーから落選してしまう。テストジャンパーとしての参加は屈辱だった。競技本番前に何度も飛び、助走路の雪を踏み固めるのがその役割だ。が、聴覚障害や女性であるがゆえに(女子ジャンプは14年のソチから採用)五輪競技に参加できないテストジャンプのメンバーたちに触れるうち、しだいに「ジャンプ愛」を取り戻す。

団体本番の日。1回目のジャンプでまたもや原田が失敗して日本は4位。猛吹雪で中断となり、このまま終了となれば1回目の記録で順位が確定してしまう。審判団は「25人のテストジャンパーが全員無事に跳べたら競技を再開する」という異例の判断を下す。

2回目のジャンプで悲願の金へ。その可能性は西方たちに託されることになったわけだ。悪天候の中、命懸けのテストジャンプが始まったが-。

西方役は田中圭。落選に腐り、親友原田を呪い、それでも家族には優しく、ばかにしていたテストジャンパーの真剣さにはほだされる。そんな等身大の人間くささがスッと伝わってくるのは、田中ならではなのだろう。「裏方ヒーロー」の秘めた魅力が染みてくる。

「カメラを止めるな!」(18年)の濱津隆之が原田役。くしゃくしゃで真意の読みにくい顔がそれらしく見える。長野五輪当時の原田の泣き笑いを心理学者は「崩壊」と診断する。リレハンメル後のバッシングによる心的重圧は想像を絶するものだったに違いない。濱津の笑ってしまうくらいの深いしわは、それを物語っているようにも見え、はまり役である。

西方の妻役には土屋太鳳、テストジャンパーには山田裕貴、眞栄田郷敦、日向坂46小坂菜緒ら。コーチ役に古田新太と個性派がそろい、ひと味違うヒーロー秘話を盛り上げている。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)