コミカルな演技で親しまれた俳優の左とん平(ひだり・とんぺい)さん(本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)が24日午後3時57分、心不全のため都内の病院で死去した。80歳だった。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。喪主は妻仁美(ひとみ)さん。

 昨年6月に急性心筋梗塞のため緊急入院して以来、闘病を続けていた。搬送された際、CCU(冠疾患集中治療室)で治療を受けた。カテーテル手術などで改善したが、誤嚥(ごえん)性肺炎を発症、その後も入院しながら治療に専念した。仁美さんらによると呼吸器がつけられ、普通の会話は出来なかったが、目で「イエス」「ノー」を表現したり、アイコンタクトで意思の疎通ができ、笑うこともあったという。

 昨年10月ごろに肺炎も回復に向かい、退院に向けた歩行訓練を始めるはずだったが、再び誤嚥性肺炎を発症。今年に入ると意識がなくなる日もあった。それでもマネジャーらが食事のため病室を出る時に「とん平さんにごちそうになろうかな」と冗談を言うと「バカヤロー」と口パクで応じることもあった。仕事復帰への意欲を聞くと大きくうなずいていたという。今月24日に容体が急変し、仁美さんや長男、所属事務所社長ら5人にみとられて息を引き取った。遺体は同日夜、都内の自宅に1度戻った。2階の寝室に安置され、愛用のサングラスのほか、CM出演した「さがみ典礼」から送られた楽屋のれんが掛けられた。一夜明けた25日朝、都内の斎場に運ばれた。

 とぼけた味わいのある風貌と演技で、70年代に出演した「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの大ヒットドラマでお茶の間の人気者になった。時代劇や刑事ドラマなどに欠かせない存在となり、多くの作品に出演した。私生活では賭博で3度逮捕され、謹慎生活を送ったこともあった。56年間連れ添った仁美さんは「家のことは何もしない人でしたが優しい人でした。(最期は)穏やかな表情でした」と話した。