日本を代表するアニメーション映画監督、高畑勲(たかはた・いさお)さんが5日午前1時19分、肺がんのため都内の病院で死去した。82歳。宮崎駿監督(77)とともにスタジオジブリを設立。「火垂るの墓」「アルプスの少女ハイジ」など、多くの名作を残した。葬儀・告別式は近親者で行い、お別れ会が5月15日に開かれる。
訃報を聞いたジブリの鈴木敏夫プロデューサー(69)は「やりたいことがいっぱいある人だったので、さぞかし無念だったと思います。宮崎駿(監督)とも相談し、ジブリとして盛大なお別れ会を執り行い、見送ります」と悼んだ。米タイム誌や英BBCテレビも一斉に報じ、海外での評価の高さを印象付けた。
代表作の「かぐや姫の物語」は14年のアカデミー賞長編アニメ映画賞候補となり、この作品と「おもひでぽろぽろ」の2作品は70点以上は至難といわれる英語圏のレビューサイト「Rotten Tomatoes」で100点満点を獲得。宮崎作品の最高97点をもしのいでいる。
東映動画の後輩、宮崎監督の「風の谷のナウシカ」を84年にプロデュース。翌年、同監督とジブリを設立して世界的評価を受ける作品を次々に生み出した。
宮崎アニメが天空を主な舞台にすれば、高畑さんは主に地に足を着けた人間模様を得意にした。自分のスタイルを確立し、深めていく宮崎監督に対し、高畑さんは鉛筆の粗い描線のまま映像を動かした「かぐや姫」など、常に実験的な描写に挑戦し、監督作品は対照的だった。
日常描写にもこだわりがあった。テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74年)では「現地の人が見ても違和感のないものを」との思いから、当時異例の海外ロケハンを行った。
野坂昭如さんの小説を映画化した「火垂るの墓」に象徴される反戦、平和への思いを貫き、13年には特定秘密保護法案に反対する声明も出している。
一方で、出身地の三重県、少年時代を過ごした岡山県、ジブリ美術館のある東京・三鷹市などとの地縁も大切にした。鈴木健一三重県伊勢市長は「次の作品を楽しみにしていただけに、誠に残念でならない」。伊原木隆太岡山県知事は「作品は多くの人に愛され、日本アニメ界への影響は計り知れない」。清原慶子三鷹市長は「天国でもきっと、人間愛に満ちた映画を監督されることと信じています」とそれぞれ惜しんだ。
◆高畑勲(たかはた・いさお)1935年(昭10)10月29日、三重県伊勢市生まれ。59年東大仏文科卒。同年東映動画入社。63年テレビシリーズ「狼少年ケン」で初演出。68年「太陽の王子 ホルスの大冒険」で映画初監督。85年のスタジオジブリ設立後は「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」を発表。98年紫綬褒章、09年ロカルノ国際映画祭名誉賞、15年仏芸術文化勲章オフィシエに。