型破りな生きざまで知られた落語家、月亭可朝さん(本名・鈴木傑=すずき・まさる)が、3月28日午前3時28分、急性肺線維症のため、兵庫県の病院で亡くなっていたことが9日、分かった。80歳だった。カンカン帽姿で歌った「嘆きのボイン」が大人気を得て、70年代からテレビ、ラジオで桂三枝(当時)、笑福亭仁鶴らと一時代を築いた。通夜、告別式は、近親者で行った。

 キテレツで、エッチな下ネタと、正統派の古典落語-。清濁併せのむ昔かたぎの芸人、可朝さんが、人知れず亡くなっていた。上方落語関係者によると、3月半ばごろ、「体調を悪くしている」との情報があったという。

 可朝さんは、故桂米朝さん(享年89)の最古参弟子ながら、「月亭」として活動。だが、15年3月に米朝さんが亡くなった際や、16年秋の米朝さんの墓碑建立などには、一門「筆頭」として参列していた。米朝さんの長男、桂米団治(59)も「兄さん」と慕った。

 可朝さんはカンカン帽とめがね、口ひげがトレードマーク。ギター弾き語りのコミックソング「嘆きのボイン」では、「ボインは~赤ちゃんが吸うためにあるんやで~」などと歌い、テレビやラジオなどで活躍した。

 同曲は、約80万枚の大ヒット。「ヤングおー!おー!」「11PM」などの人気番組に多数、出演。下ネタが目立った芸風、キャラクターに批判的な声もあったが、何食わぬ顔で笑いをとり続けた。

 シャレっ気が強く、時に毒々しい笑いの一方、米朝さん門下で磨いた古典の実力者としての顔もあった。晩年には大阪・天満天神繁昌亭で高座に復帰、落語家の本領も発揮した。「住吉駕籠(かご)」などの古典を得意とした。

 71年には突如、参院選に無所属で出馬して落選。08年には、元交際相手の50代女性へのストーカー規制法違反容疑で逮捕されるなど、昔ながらの「芸人の王道」を歩んできた。

 そんな可朝さんに、子どものころ、お守りをしてもらった米団治は、この日夜、コメントを発表。「いつもそばにいて、大好きなお兄ちゃんでした」としのび、六甲山へのドライブなど、思い出も吐露。約2年前から、親交が復活し、上方落語の将来を話し合っていたとも明かした。

 「米朝一門の異端児と言われながらも、発言内容はとても鋭く、実はまっとうなことをおっしゃっていた。他の追随を許さぬほどの優れた洞察力の持ち主だった」としのび、「天国じゃなく地獄かも分かりませんが、米朝師匠とおいしいお酒を酌み交わして下さい」としのんでいた。

 ◆月亭可朝(つきてい・かちょう)本名・鈴木傑(すずき・まさる)。1938年(昭13)3月10日、横浜市生まれ。58年頃、3代目林家染丸に師事し、その後、故米朝さんの門下へ移った。「桂小米朝」などを経て、68年から「月亭可朝」を名乗った。3代目染丸と同じ吉本興業を離れた後も、師匠の米朝事務所には入らず、事務所を転々。出ばやしには「芸者ワルツ」などを使った。71年、01年に参院選へ出馬し、落選。

 ◇上方落語協会の桂文枝会長(74)の話 (最近)連絡が取れなくなって心配していたのが現実となって、ショックで、整理がつきません。おもしろくて、規格外の方でした。この世界に入った時からかわいがっていただき、そもそも(天満天神)繁昌亭を作ろうと決心したのも、「これだけ売れたんやから恩返しせな」と言われたからです。いっぱい思い出があり、感謝しきれません。

 ◇弟子の月亭八方(70)の話 残念です。生前は、お世話になりました。(型破りな生きざまだった)師匠可朝になりかわり、御礼申し上げます。