日刊スポーツコムの、箱根駅伝の青学大・原晋監督(51)のコラムを読まれましたでしょうか?

さすがは、現在、箱根駅伝を4連覇させている現代の名監督だなぁと、感銘を受けました。レスリング、バドミントン、アメフト、ボクシング、そして体操…。「なぜ今、スポーツ界で騒動が起きるのか」。この問題について、大きく分けて3つの理由があると説かれました。

テレビや新聞で数多くの意見が飛び交っていますが、個人的には、原監督のこの分析が一番、納得がいきました。完全に同意見です。そして、何よりも一番賛同できた見解は、このコラムの最後の締めの文章でした。

たとえば、今年の1月に死去されたプロ野球の星野仙一元監督。我々マスコミも、星野監督の鉄拳制裁を「愛のムチ」と称して、認めていました。いや、むしろ称賛のネタにしていたほどです。

私も子供時代に大好きだったスポ根ドラマ「スクールウォーズ」でも、一番の名シーンは、109対0で相模一高に惨敗した直後の控室でのシーン。「悔しいです! 勝ちたいです!」と泣きわめく生徒たちに、熱血教師の滝沢賢治監督が「俺が必ず勝たせてやる! そのために俺はこれからお前たちを殴る!」と言い、全員をグーパンチで殴り倒しました。そこで流れるナレーションは「これは暴力ではない。もし、暴力だと呼ぶ者があれば、出るところへ出てもよい。賢治はそう思っていた」でした。

正直、昭和40年代生まれの私は、これに猛烈に感動しましたし、その後に星野監督の指導力が、日本中で称賛されたのも、至極当然と思っています。

当時から、一般常識として暴力が悪いことは分かっていても、心を揺さぶられたのが本音であり事実です。だから、暴力を根絶する動きは、当然だし健全だと思いますが、一方で、体操女子の宮川紗江選手が、速見佑斗元コーチに、あれだけ本気でひっぱたかれても、「そこには愛情と信頼関係があります」と問題視しない考えは、十分理解できますし、共感もできます。

それを「暴力=悪」という論理だけで、「宮川選手は洗脳されている」とおっしゃる方々などは、その方ご自身の常識の中でしか、物事を計れていないとしか思えないのです。ゆえに、一般的な正論をぶつ方々には、どうしても共感できない自分がいました。

鬼の首を取ったかのように、暴力=悪を声高に主張している方々は、もしも星野元監督がご存命だったら、あの方を目の前にしても、本当にそのまんまの口調で言い切れたのでしょうか…。

ゆえに、どうしても私は連日の報道を見ていても、どこかスッキリしない心境でした。

話は最初に戻しまして。そこで原監督がコラムの締めに使ったのが、以下の言葉です。

「(悪と断罪されたボクシングの山根前会長や体操の塚原夫妻らも)自分の持論があるなら、持論を通す。そして『でも時代には合わなくなりました』でいいのではないだろうか。世の中はマルかバツか、100かゼロではないのだから」。

これぞ真なりではないでしょうか。物事はそんなに単純ではないし、正義と悪を決めるだけが重要ではないと思うのです。