下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの葬儀が15日、東京・青山葬儀所で営まれ、デーモン閣下が弔辞を読み、その後会見を行った。

生前、親交のあったデーモン閣下は「葬儀の時間を通じていろんなことを思い出しました。一緒に楽しく食事をしている時かな」と語った。

出会ったのは相撲関係のパーティー。当時、デーモン閣下はNHKの大相撲中継にゲスト出演しており、輪島さんのことを話していたことを輪島さんが見ていて食事を誘われたのが出会いという。

心に残る思い出は「懸賞金を使ってしまうので、相撲協会が事前に税金分を預かる形にするシステムを作ったのは輪島さんならではですよね」。印象的な言葉は「プライベートで付き合うようになったのはプロレスもやめていた頃。キューバの相撲の監督とか、名誉職のような事をやっている頃だったけど『今度、ああいうことをやろう』と次から次へと新しいアイデアを食事の席で言い出すんです。結構な年齢でしたが前向きでしたね」と語った。

また、「一時期、横綱になる前の白鵬をかわいがっていて。3人で対談をしたんです。輪島さんが白鵬にアドバイスをする中、日本語に英語をまぜて話したんです。そのたびに白鵬が英語は通じないから。うちは英語じゃないと何度もツッコミを入れていたのが面白かった」と紹介した。さらに、輪島さんと一緒にいる時、高田川親方が電話で、輝関のしこ名を相談していたこともあったという。

弔辞の際には数年前、力士が引退する時のことを思って作った曲「千秋楽」を歌った。「(こみ上げるものが)あるかと思ったら、しっかり歌わなきゃという気持ちが強く、そうならなかった。今まで、どこの引退相撲の時も歌ったことがなかった。最初が輪島さんだったのは非常に感慨深い。歌詞の中に日輪という単語があるが、輪島さんの輪を入れたかったから。その瞬間は思わず遺影を見ました」と語った。

最後は輪島さんを「わが輩を相撲ファンにさせた男」と語ると「大学の学生横綱をへて大相撲の横綱になったのは輪島さんが初めて。戦後生まれでもあるし、伝統や格式を重んじる中、破天荒と言われるが、1970年代の若者がどんな思考をして生活しているかという文化を相撲界に持ち込んだ人と思っている。言い方を変えると近代を相撲界に持ち込んだ最初の横綱と言ってもいい」と語った。

もし相撲界に輪島さんが残っていたら「昨今の相撲界のゴタゴタも少しは解決する役割を担っていたかも」と語った。