おもしろいラジオ番組の陰に、おもしろい放送作家あり-。放送業界では、そう言われているらしい。放送作家とは、どういう存在なのか。このほど「放送作家ほぼ全史」(星海社)を出版した社会学者の太田省一さんが解説する。
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私は、放送作家とは「放送メディアと大衆をつなぐ職業」だと定義しています。大衆が求める「おもしろい」ものを鋭敏に感じ取り、テレビやラジオで表現する才能の持ち主です。大衆と言っても、1億総中流の時代と、趣味嗜好(しこう)が多様化した現在とでは違います。笑える、感動する、興味深いなど「おもしろい」もさまざま。とらえどころがないんです。とらえどころのない「おもしろい」をドラマ、バラエティー、コントなどいろんな番組で表現するのが、放送作家です。おもしろい番組には、必ずおもしろい放送作家がいて、その才能は日本のエンターテインメント全体に及んでいく。その歴史を振り返ってみましょう。
放送作家の始祖は、戦後間もなくラジオ番組「日曜娯楽版」で作、構成を担当した三木鶏郎です。民主化したラジオで政治や社会への世の不満や怒りを風刺の笑いに変えて、放送史に名を残しました。音楽家でもあった三木はCMソングや流行歌の作詞作曲と幅広く活躍します。
60年代のテレビ草創期には「夢であいましょう」の永六輔、「シャボン玉ホリデー」の青島幸男、「11PM」の大橋巨泉といった人たちが、放送作家としてだけでなく、自ら出演し、タレント的な人気も得ます。野坂昭如、五木寛之も三木鶏郎門下にいましたし、小林信彦や井上ひさしも60年代のバラエティー番組の放送作家でした。野坂、五木、井上、青島は直木賞を受賞するなど文学界にも人材を輩出しています。
永、青島は作詞家としても「上を向いて歩こう」「スーダラ節」など数々のヒット曲を生み出します。作詞家として名高い阿久悠も放送作家でした。70年代、「スター誕生!」を企画し、今に続くアイドル文化を生み出した。秋元康も同じで、80年代、「夕やけニャンニャン」で企画を担当します。ピンク・レディー、おニャン子クラブなど、ともに時代を代表するアイドルの作詞を手がけ、歌謡界、芸能界を変える存在になりました。
ビートたけしと高田文夫、タモリと高平哲郎、SMAPと鈴木おさむ、ダウンタウンと高須光聖らが芸人、タレントとコンビ的な仕事をして80年代以降のお笑い、バラエティー番組をさらなる隆盛に導きます。「踊る大捜査線」の君塚良一、今やNHK大河ドラマの脚本を務める三谷幸喜、宮藤官九郎ら、第一線の脚本家も放送作家としてキャリアを積んだ人たちです。
今後は、はじめしゃちょーやヒカキンらYouTuberにも注目したい。1人で企画、出演、発信するYouTuberは、放送作家の進化形に見えます。インターネットの時代の新たな放送作家像を作っていくのかもしれません。
放送作家という職業は、音声、映像、活字、舞台とさまざまな分野で花開く才能を懐深く受け入れ、エンターテインメントへの入り口となってきた。時代と大衆が求める「おもしろさ」を提供する彼らの仕事が、戦後日本の大衆文化を作ってきたと言えるでしょう。



