演歌歌手西方裕之(62)が、22年2月に発売した「おまえひとりさ」のミュージックビデオ(MV)が、YouTubeで演歌では異例の113万回再生を記録している。アンサーソングの昨年11月発売の「倖せふたり」も、現在、22万回再生。1987年(昭62)に昭和の終わりにデビューした、朗々とした歌声とおもしろトークで知られる男。連載2回目は、デビュー当時について聞いた。【小谷野俊哉】
◇ ◇ ◇
出身は佐賀の唐津。歌手になる前は、地元の佐賀で物流大手の日通で働いていた。
「メインは日通の黄色いトラックを佐賀県内で運転していました。宅配便でペリカン便ってあったんですけど、その担当の人が休んでるから、ちょっと代わりにとか。4年ほどやってました。それまでは、バイク乗りたいっていうのもあったりで、地元でいろいろなバイトをしてました」
ヤンチャもしたが、地元で働く日々に86年、大きな転機が訪れた。
「昭和61年に佐賀で、作曲家の徳久広司、玄哲也、岡千秋、杉本眞人の先生たちが審査員をされた『第1回ザ・スターカラオケ選手権大会』に出て優勝しました。予選大会が24歳で、本選の時は25歳になっていました。歌が得意っていう意識はなかったんですけど、周りは自分の歌を聞いて『西方、うまい』とか言ってたんですよ。20歳くらいの時に仕事の打ち上げの2次会とかで、みんなでスナックに行って歌ったら騒いでたのがシーンとなったんですよね。それで『あれ? もしかして俺、歌うまいのか』って。それまでは好きなのは好きなんですけど、うまいとかなんとかいう意識はなかったですね」
大会優勝後に、恩師となる作曲家徳久広司氏(75)から電話が来た。
「1カ月近くたってから、電話をいただきました。歌手になるつもりは、あまりなかったんです。もう年が年ですから、25歳ですからなれると思わなかったんですよ。家族は、長男で弟と妹がいました。で、親に反対はされませんでした」
25歳で上京し、デビューは約半年後の26歳の時。87年7月21日に「北海酔虎伝」でデビューした。作曲は徳久氏、作詞は水前寺清子、都はるみ、北島三郎の育ての親としても知られた大御所・星野哲郎氏だった。
「何も分からないままですよ。何年か修行する覚悟で行ったんですけど、徳久先生は『即戦力にしたいんだ』って。徳久先生は、今は日本作曲家協会の会長とかになったりしているんですけど、その時はまだ若手の方ですから。『自分は一度、星野哲朗先生と組みたいんだ』って。それで男歌を歌うのに、西方がちょうどいいなって。すぐ星野先生にお願いして、デビュー曲から6作くらい書いてくれて。そこからもう、トントンとっていうよりも、慌ただしかったですね。デビューまでが早かったんで、キャンペーンだろでも、歌の間にしゃべるじゃないですか。なんか自己紹介すら、満足にできない感じでしたね」
89年の暮れに出した「遠花火」が25万枚のヒットを記録した。
「平成元年に出してから、2年かかりました。当時はバブル景気で、お金がすごく動いていた時代。自分の上の方で、大きなお金が動いていましたね。今みたいにCDが売れない時代と違う。キャンペーンに行っても、その場で少なくても50枚ぐらいは売れた。カセットテープがメインだったりもするけど。コンサート会場だと、300本とか売れた時代を知ってるからね。今は本当に、CDが10枚売れたらいいとこだみたいな感じの時代でした」(続く)
◆西方裕之(にしかた・ひろゆき)1961年(昭36)7月1日、佐賀県唐津市生まれ。87年7月に「北海酔虎伝」でデビューし、新宿音楽祭銅賞、横浜音楽祭新人奨励賞を受賞。代表曲は「遠花火」「夢追い川」、日本有線大賞有線音楽賞受賞の「恋路川」、「赤とんぼ」、「湯けむりの宿」、「男なら~平成節~」など。趣味はアコースティックギター(約30本所持)と折りたたみ自転車(10台)、車、DIYの日曜大工。165センチ。血液型B。



