パーソナリティー生島ヒロシ(75)が、今月5日の文化放送「生島ヒロシの日曜9時ですよ~」(日曜午前9時)で、432日ぶりに復活した。
昨年の1月27日、フジテレビの10時間半会見が始まる直前に、その日の朝の生放送をもってTBSラジオ「おはよう定食/一直線」を降板することを発表。1998年4月から26年9カ月続け、あと5回で7000回になるところだった。
降板の理由はTBSによると「TBSグループ人権方針に背く重大なコンプライアンス違反があったことを確認した」。翌月のTBSの社長会見に4年ぶりに乗り込んで質問したが、TBSラジオの林慎太郎社長は「もうご出演いただくことはないと思う。事実上の引退」とあしらわれてしまった。
生島のことはTBSラジオ「夜はともだち」の頃から知っているが、初めてインタビューしたのは99年6月に「健康マイウェイ」という芸能人、著名人に健康法を聞く連載を担当した時。当時48歳の生島は健康法、義母の介護のことを話してくれて「僕はまだ発展途上人」と言っていた。37歳だった記者は、深夜まで暴飲暴食の毎日。介護のこともピンと来なかった。一昨年、父親が死に、94歳の母親が残された今になって、あの時の言葉が染みる。
インタビューの直後、東京・赤坂のTBSのロビーで生島とバッタリ会った。「はい、これ」と手渡されたのが“口の消臭タブレット”だった。「俺って、口が臭いの?」とも思ったが、それが“日本一健康に詳しいアナウンサー”との第1歩だった。
その後は3歳年上のライバル紙記者と、2人だけの“生島ヒロシ番”の時代が10年以上にわたって続いた。他のスポーツ紙も、生島番を置くようになったのは、ここ数年のことだ。
謹慎を余儀なくされた生島を励まし続けたのが、昨年7月に84歳で亡くなった芸能事務所ケイダッシュの川村龍夫会長だった。亡くなる1カ月前に豊昇龍の横綱昇進パーティーで会った時は「俺が生島の首根っこを捕まえて、TBS中に謝らせる。復帰の時はよろしくな」と言っていた。
その川村会長も亡くなり、昨年暮れには生島も75歳、後期高齢者となった。記者も会社と縁が切れる65歳の誕生日までカウントダウンとなって来た。そこへ来ての復活劇だ。あきらめるのは、まだ早いということだ。
だが、今は復帰の第1歩を踏み出したばかり。本当の試練はこれからだ。“復活”などと思わずに“発展途上”の気持ちで、グレート・カムバックを果たして欲しい。



