東京地検が捜査中の国会議員秘書給与不正受給事件で、読売新聞が捜査対象者を取り違え、別の維新議員を1面で掲載してしまった大誤報。私の古巣の新聞社の体質について、いくつもの週刊誌の取材を受けたが、ここではあらためて新聞記者について書いておきたい。

誤報から3日後に掲載された読売の検証記事を読んで私は心底驚いた。じつは記事掲載に至るまで、捜査サイドからただの1度も議員の名前は出ていなかったのだ。

たしかに事件取材には腹のさぐり合い、その場の感触がついてまわる。ただ記者が関係者に具体名をぶつけて「否定されなかった」「肯定的だった」というだけで、議員の顔写真までつけて報道できるものなのか。

私は検証記事の見出し、<マイナス情報を軽視>につきると感じている。

それにつけ、思い出すのは記者時代に先輩からたたき込まれた「事件取材は賽の河原の石積み」という言葉だ。

賽(さい)の河原とは「むなしい努力の場」。事件を取材するたびに1つの見通しを立てて河原でせっせと石を積む。だけど最後の最後で間違いだったと気づいて、またベソをかきながら石を積み直す。その繰り返しだという。けれど誤報の記者たちはマイナス情報を見ずに石を積み続けてしまった。

今回の件を受けて読売は「記者教育の徹底」と「チェック機能の充実」を図るとしている。だけど教育や制度で、果たして誤報は避けきれるものなのだろうか。

折しも読売OBで元巨人軍代表の清武英利さんが記者時代を振り返った著書「記者は天国に行けない」が刊行された。私も取材を受けた長編の著作。そのなかで清武さんはこう書く。

<今年の正月は夜回り取材をしていた。五十年前と同じように電柱の陰で人を待った。成長のない自分に気恥ずかしさを感じつつ、冷たい闇の中で、そこが私の持ち場のような懐かしい気分だった->

75歳。今も賽の河原で石積みをしている記者がいる。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「ニュースONE」などに出演中。