今回の「ケイバラプソディー~楽しい競馬~」は岡山俊明記者が、130周年を迎えた函館競馬場の歴史をひも解いた。起源は1800年代までさかのぼる。各地に足を運び、当時の様子に思いをはせた。

函館招魂社(現函館護国神社)は箱館戦争で殉難した新政府軍兵士慰霊のために建てられた
函館招魂社(現函館護国神社)は箱館戦争で殉難した新政府軍兵士慰霊のために建てられた

今年は函館競馬場130周年ということで、JRAも特設サイトを開いて各種イベントを行ってきました。日清戦争が終わった翌年の1896年(明29)に、現在の函館競馬場がある湯川村柏野(現駒場町)に開設された柏野競馬場が起点なのですが、起源となると1875年(明8)に函館招魂社が祭礼行事の一環として実施した、祭典競馬にさかのぼります。文明開化の昔に思いをはせて、その地に足を運びました。

函館護国神社(旧函館招魂社)の境内
函館護国神社(旧函館招魂社)の境内

函館市地域資料アーカイブによると「招魂社の催し物は市中の他社を圧倒するにぎわいで、消防組のはしご乗り・手踊りのほかに、なんと蓬莱町競馬までもが行われていた」と驚きをもって伝えられています。さらに「函館の庶民レベルにおける競馬が、神社祭礼の催し物の目玉として始まったことは紛れもない事実」とあります。明治の人々も競馬に熱狂したのです。

函館護国神社(旧函館招魂社)には箱館戦争で殉難した新政府軍兵士が眠る
函館護国神社(旧函館招魂社)には箱館戦争で殉難した新政府軍兵士が眠る

招魂社は箱館戦争で亡くなった新政府軍の兵士を慰霊するために建てられ、日中戦争のさなかに函館護国神社に改称されて今に至ります。函館山のふもとの高台に鎮座して、大鳥居からは津軽海峡や赤石浜が見下ろせます。浜に面した蓬莱町(現宝来町)が、函館競馬のルーツです。

函館護国神社から宝来町を望む
函館護国神社から宝来町を望む

護国神社の宮司に当時の資料について尋ねたところ、残念ながら全く残っていないとのことでした。なぜなら宮司職が置かれたのは招魂社から護国神社に改称された1939年(昭14)から。無理からぬことですが、境内から町に目をやると、当時のにぎわいが浮かんできます。

歴史ある函館競馬は最終週を迎えます。150周年、200周年と続きますように。【岡山俊明】(ニッカンスポーツ・コム/競馬コラム「ケイバ・ラプソディー~楽しい競馬~」)

市電が通る宝来町
市電が通る宝来町