「芦毛の怪物」と呼ばれたオグリキャップが生まれて、3月27日でちょうど40年を迎える。
昭和末期から平成初期にかけて社会現象とも言える競馬ブームを巻き起こしたスターホース。地方の笠松でデビューして、怒濤(どとう)の強さで中央へ移籍。1600メートルのマイルCSや安田記念から、2500メートルの有馬記念まであらゆる距離に対応してJRA・G1・4勝、重賞は6連勝を含めて計12勝を挙げた。「生誕40周年」を記念して、オグリキャップのJRA・G1勝利を振り返る。
【1988年(昭63)12月25日・有馬記念】
笠松から中央へ移籍して9戦目。移籍後は重賞6連勝も、G1では天皇賞・秋2着、ジャパンC3着と惜敗していたオグリキャップが迎えたG1・3戦目。岡部幸雄騎手との初タッグで挑んだ。
ファン投票結果は1位がタマモクロスで、2位がオグリキャップ、3位がサッカーボーイ。
実際の人気も、天皇賞・秋でオグリキャップを倒し、ジャパンCでもオグリに先着する2着だったタマモクロスが1番人気で、単勝2・4倍。オグリキャップは単勝3・7倍の2番人気だった。
レースは3番枠から飛び出たレジェンドテイオーが引っ張る流れ。オグリキャップは中団6番手前後の外を追走し、やや出遅れたタマモクロスが後方2番手、サッカーボーイが最後方から運ぶ。
4コーナー手前で大外からタマモクロスが追い上げてきたが、手応えよく4コーナーを回ったオグリキャップが馬場の真ん中から抜け出す。最後は外のタマモクロス(2着)に半馬身差、内から伸びてきたスーパークリーク(3位入線も直線の斜行で失格)も抑えて、G1初制覇を果たした。
岡部騎手は勝利直後のインタビューで、開口一番「良かったなと思ってます」。
この有馬記念で引退が決まっていたタマモクロスに対し、3度目にして最後の対決だったオグリキャップを初めて勝利に導き「このチャンスは1回しかなかったからね。負かせたんで非常に良かったというか、責任が果たせたという気持ちですね」と安堵(あんど)の表情で胸をなで下ろした。
レース展開については「タマモがどう出るかなと見ていたけど、隣で僕の方が出脚良く出ていっちゃいましたからね。あとは別に意識というか、どこかでは来るだろうと。向正面に入ったときに、いつタマモが来るだろうな、という意識は持ってました。(最後の直線で)ちょうど並んで坂を上がってくるときに、向こうがアラアラになっちゃったので、なんとかなるかなと思いました。前半うまくためられたというか、思うように動けたのでそれがやっぱり勝因だと思います」と語った。
◆オグリキャップ 1985年(昭60)3月27日、北海道三石町(現新ひだか町)生まれ。生産者・稲葉不奈男。父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー(シルバーシャーク)。芦毛、牡。87年に笠松でデビューして12戦10勝、88年に中央に移籍、栗東・瀬戸口厩舎所属で20戦12勝(すべて重賞でうちG1・4勝=88年有馬記念、89年マイルCS、90年安田記念、有馬記念)。2010年7月3日、右後ろ脚を骨折し25歳で死去。

