18年平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)のスピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(35=相沢病院)は長野市に住みながら、トレーニングを続けてきた。出身も長野県。地元を愛し、地元に貢献しようと努めてきた。19年10月、台風19号による千曲川の決壊で長野市が甚大な水害に見舞われた。居ても立ってもいられなくなり個人的に災害ボランティアに参加。「スポーツと社会」のつながりに、こだわりを持つ小平の活動を追った。

千曲川の決壊により水害を受けた現場は普段、小平がロードバイクを走らせトレーニングしているなじみの場所だった。19年10月の台風19号で、見渡す限りに広がるリンゴ畑の美しい風景が、茶色の世界に一変していた。

スピードスケートは10月から翌年3月に集中して大会が開かれる。そのシーズン中にオンラインで災害ボランティアの登録申請を行い、保険にも入っておいた。「シーズンが終わったらすぐに行けるように」との思いがあった。

20年3月と6月、実際に災害現場に足を運んだ。「ロードバイクだと危ないのでマウンテンバイクで行きました。水をたくさん背負って」。現場に到着し、災害ボランティア名簿に名前を書いた。

小平を金メダリストに育て上げたコーチで信州大の結城匡啓教授にも相談せず、1度目は行った。「自分で決めて、自分でやりました。結城先生には事後報告でした」。2度目は「先生、次のお休みはいつですか?」と聞き、ボランティアの予定を入れた。

6月27日、再びマウンテンバイクを走らせる。この日は1人暮らしで、リンゴ農家の小林美代子さん(80)宅を訪れた。既に、はがされた床の下にある家の基礎部分の木材に付いた泥を、たわしなどで丁寧に除去する作業だった。

「どこがゴールなんだろうと思いながら、夢中になって拭いてました」と1日かけて従事した。他5人の男性もボランティアに参加していたが最初は本人と気づかれず「実物ですか? と言われちゃいました」と笑った。

記者が小林さんを訪ねると当時を振り返ってくれた。「1人だけ背の高い女の人がいて、一生懸命に泥を出してくれた。体もしなやかで、ありがたいなと思っていたら、他の方に『あの小平さんですよ』と言われ、本当にびっくりした」。

思わぬ金メダリストの来訪に驚いたが「こんな大事な人を危ない目に遭わせたら大変」と思った。それでも小平から「体の鍛えになりますから」などと気遣われたという。

「小平さんが来て本当にうれしかった。すごい人が来てくれて、私も頑張らないとと思えた」と語る。北京五輪本番へ「頑張って欲しい。どんな結果でも花束を持って行きたい思いです」とエールを送った。

小平に小林さんの近況を伝えると、うれしそうな表情を浮かべた。リフォームを終え準備が調えば避難先の仮住まいから、泥を除去した元の自宅に戻ることを知ると「本当ですか! 良かったです」と満面の笑み。「泥の除去作業をしても結局、家を取り壊さざるを得ないお宅が多いと聞いていたのでまた、あの家に住むと言ってくれて本当にうれしい」と語った。

今でも時間があればふらっと、りんご園が広がる現場を見に行くという。「(21年は)霜の被害がすごかったので。でも行ってみると、りんごがなっててホッとしたりします」。あの災害から2年4カ月。スポーツ選手が社会に対して出来ることを常に考え競技を続けてきた。そして迎えた4度目の五輪に、スケート人生をかける。

「オリンピックが終わったら小林さんに会いに行きます。今度は普通に、日にちを決めず、ふらっと行きたい。サプライズで行くのが大好きで。こっそり『ピンポン』って」

リンクに全力を注いだ先にまた、社会とのつながりが待っている。【三須一紀】

■リンゴスーツ、寄り添いに感謝

小平は20年10月、被害状況を自ら知ろうと長野市赤沼地区の「やまだい農園」を訪れた。同地区は信州リンゴ発祥の地。4代目の西沢穂孝さん(40)は「甚大な被害でまだまだ影響はある」と語る。そんな中、小平が来訪。「一般的な我々に寄り添ってくれて人間的に尊敬できる。リンゴもたくさん注文してくれた」と語った。小平は20-21年シーズン、リンゴをモチーフとしたスケートスーツを着用。妻有希子さん(41)は「ユニホームもリンゴにしてくれて、ずっと気にかけてくれた」と感謝した。

21年2月、リンゴをあしらったスーツで力走する小平(21年2月11日)
21年2月、リンゴをあしらったスーツで力走する小平(21年2月11日)
小平奈緒がボランティアに訪れた「やまだい農園」の西沢穂孝さん、有希子さん夫妻(撮影・三須一紀)
小平奈緒がボランティアに訪れた「やまだい農園」の西沢穂孝さん、有希子さん夫妻(撮影・三須一紀)