スポーツには力がある。そして、同じように本にも確かなパワーがある。新型コロナウイルス感染拡大で、社会や私たちを取り巻く状況、暮らしも大きく変わった。そんな新たな日常の中でも、アスリートや指導者は必死で戦いを続けている。

日刊スポーツでは、感受性も豊かなトップアスリートや指導者に「私の相棒書」と題し、ステイホームの自粛期間やこれまでの人生で触れて、力をもらってきた1冊を取材。5人の「相棒」紹介します。

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パラ自転車女子、鹿沼由理恵(39=神奈川リハビリテーション病院)

『電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ』(すずらんの会編、角川書店)

長野県立こども病院に入院する子どもたちが重病と闘いながら自らの命と向き合い、純粋な思いをつづった詩集。11歳の少女が亡くなる4カ月前に書いた作品名がタイトルになった。

「子どもたちは自分なりに現実を理解し、それでも必死に頑張っている。本能で書かれた詩に自分もやらなければと勇気をもらえます」。鹿沼はリオデジャネイロ・パラリンピックの自転車ロードタイムトライアル視覚障がいクラスで銀メダル。ハンドルを強く握ることで患った両腕神経まひに耐えての快挙だった。トライアスロンに転向して東京を目指したが、治療は困難を極めた。

手術、入退院の繰り返し。感染症や患部壊死(えし)にも苦しんだ。左腕は前腕、肘関節、上腕と3度の切断手術を受けた。その間、トライアスロンからブラインドマラソン強化選手を経て、現在は自転車で競技復帰を目指している。「私を自転車選手として応援してくださる方がたくさんいる。過去の自分にどれだけ近づけるか挑戦することで、それに応えたい」。

2つの障がいを抱えても鹿沼はトップアスリートとしての自分を追い求める。治療中もコロナでの自粛期間も少女の詩が強く背中を押してくれた。『いのちはとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ…私は命が疲れたと言うまでせいいっぱい生きよう』。

◆鹿沼由理恵(かぬま・ゆりえ)1981年(昭56)5月20日、東京都町田市生まれ。都山崎高、筑波技術短大、都文京盲学校卒。先天性の弱視で視野が狭い。スキーで00年冬季バンクーバー・パラリンピックのスプリントクラシカル1キロ7位、リレー5位など出場4種目で入賞。左肩の故障で12年に自転車に転向し、田中まい(日本競輪選手会)とのタンデム(2人乗り)競技で14年世界選手権ロードタイムトライアル優勝、16年リオ・パラリンピック同種目銀メダル。身長161センチ。