【選手は移動日、では記者は?】仙台港~苫小牧港 フェリーで知る遠征の醍醐味/後編

ペナントレースもヤマ場となった9月、西武には二度の「空白」がありました。福岡から大阪へ移動する7日(月)と、仙台から北海道へ移動する16日(水)。選手は移動日、さて記者は。不定期連載「野球と旅を、こじつける。」のスピンオフ後編です。

プロ野球





三陸沖の夜を走る太平洋フェリー

三陸沖の夜を走る太平洋フェリー

■暗闇にて


甲板には強い風が吹いていた。風を可視化できるヒントはない。暗闇。唯一分かるのはまだぎりぎり夏だから、海風が思いのほか暖かいということ。

雨が上がったばかりで星も見えない。夜10時、一部客室は消灯になった。こんな時に甲板に立つ人など誰もいない。私以外は。

進行方向左側には、いくつかの明かりが見える。志津川か、気仙沼か、陸前高田か、はたまた大船渡か。太平洋フェリーは三陸の沖合約50キロのところを北へ進んでいる。

進行方向右側には…何も見えない。昼間ならきっと水平線が見える。

東日本大震災から15年半になる。まだ2500人を超える人が行方不明のままだ。そのうち2人は、私がお世話になってきた人の、大切な家族。

「釣りが好きだったのに、もう絶対に釣りに行くなんてできないわね」

そんな女性がいた。別の女性はこう言う。

「奇跡の一本松も最近は大丈夫になったんですけど、しばらくはずっと近寄りませんでしたね。近寄れませんでした」

後者は、佐々木朗希投手の母陽子さんの言葉だ。苦しみは時が解決するのか。それは人それぞれ。今日は大丈夫でも、明日になったら―。それも人それぞれ。

当事者でない私には何もできない。三陸の海の上に来たのなら、せめて祈るだけ。風は強いけれど、時折風もやむ。


仙台港を出航する太平洋フェリー

仙台港を出航する太平洋フェリー

■なぜ海路を

本文残り83% (2885文字/3493文字)

1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。