【朝乃山を追う:24年春場所〈上〉】三役復帰へ、迷いを吹き飛ばした前半戦

3月1日に30歳の誕生日を迎え、30代として最初の本場所に臨んだ大関経験者の朝乃山(高砂)は、西前頭筆頭で9勝し、来場所の返り三役を確実とした。前半戦は勝ったり負けたりが続いたが、後半戦には5連勝。14日目は、勝てば110年ぶりの新入幕優勝だった尊富士を破り、千秋楽まで優勝の行方を先送りさせるなど、随所で存在感を見せた。

21年5月に新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反。6場所の出場停止処分を経て、三段目から再出発した朝乃山のドキュメント。今回は春場所を振り返る。

大相撲

<春場所西前頭筆頭:9勝6敗>上編 初日~7日目

手応えを得て折り返し

貴景勝(左)は朝乃山をはたき込みで破る(撮影・前岡正明)

貴景勝(左)は朝乃山をはたき込みで破る(撮影・前岡正明)

初日 1敗
● 大関 貴景勝戦

久しぶりの感覚だった。朝乃山が初日を万全の状態で迎えるのは、昨年7月の名古屋場所以来、実に4場所ぶり。その名古屋場所も、左上腕二頭筋部分断裂で途中4日間休場していた。先場所までの4場所は、その後も右足親指痛、左ふくらはぎ肉離れ、右足首捻挫と、立て続けに別のけがに見舞われた。それでも1月の初場所では出場11日で9勝し、約3年ぶりの三役復帰を見据える番付に戻ってきた。総当たりとなる上位陣に、初日からの休場はいない。現在の力、立ち位置を計る条件はそろっていた。

その中で迎えた初日は、かど番の大関貴景勝戦だった。取組前まで対戦成績は、ほぼ互角の5勝6敗。直近で顔を合わせた昨年九州場所8日目では勝っており、直接対決の連敗を「3」で止めていた。互いに手の内は知り尽くしている。距離を詰めて組みつきたい朝乃山と、距離を取って突き放したい貴景勝。初日屈指の好取組の立ち合いを、場内は固唾(かたず)をのんで見守った。

貴景勝のぶちかましを、朝乃山は受け止め、返す刀で左でおっつけた。立ち合いの圧力に定評のある相手を、むしろ押し込んだ。さらに左はまわしに手をかけた。だが、これが落とし穴だった。まわしに手が届くところまで押し込んでいただけに、まわしほしさが無意識に取り口に出た。一回り小柄な、しかも前傾姿勢の相手のまわしにこだわれば、自然と朝乃山の体は前のめりとなる。頭が下がったところでタイミング良くはたき込まれ、そのまま前のめりに両手をついた。

初日から休場した昨年11月の九州場所を除けば、三段目から復帰後、2度目の黒星発進となった。取組後は「つかまえればよかったんですけど、止まってはたかれた時に足がついていかなかったですね。もう必死なので。(左上手が)取れていないのでね」と、唇をかんだ。前に出れば、引き、はたきの餌食となる可能性があると分かっていても、受け身に回れば一方的に押し出されかねない圧力もある。毎回、紙一重の勝負になるからこそ、負ければ悔しさが一段と募った。

コロナ禍の無観客開催などもあり、近大時代に4年間過ごした「第2の故郷」大阪のファンの前で、幕内力士として土俵に立つのは19年以来、5年ぶりだった。「いい緊張感があって、大勢の前で、いい相撲を取りたかった。勝たないと意味がないです」。万全で迎えた、30代最初の取組は白星で飾ることができなかった。

朝乃山(手前)に押し出しで敗れる琴ノ若(撮影・上田博志)

朝乃山(手前)に押し出しで敗れる琴ノ若(撮影・上田博志)

2日目 1勝1敗
○ 大関 琴ノ若戦

初日の悔しさをすぐに晴らした。新大関の琴ノ若に土をつけ、1勝1敗と星を五分に戻した。初日から大関以上との連戦は、新三役の小結だった19年九州場所以来、実に4年4カ月ぶり。負けを引きずれば、一気に連敗街道を進みかねない、強敵との取組が続く中で立て直した。琴ノ若とは、互いに三段目だった16年に1度、幕内で昨年に1度と、2度顔を合わせていたが、ともに白星。3度目の対戦でも勝ち、白星発進していた琴ノ若に大関として初黒星をつけた。同時に、朝乃山自身も、30代として初白星と、新たな一歩を踏み出した。

体当たりの立ち合いから、前に出続けた。おっつけて体勢を立て直そうとした相手を、休まず攻めて最後は押し出した。無意識にまわしにこだわった初日とは違い、まわしにこだわらず完勝。「大関(琴ノ若)は器用な相撲を取りますので、自分から攻めるように心掛けて相撲を取りました」と胸を張った。

琴ノ若の成長は、ひしひしと感じていた。2度目の顔合わせとなった前回対戦の昨年秋場所は、自身が西前頭2枚目、琴ノ若が関脇。上手投げで白星をつかんだが、取組後、初顔合わせの三段目当時と比べて「あの時とは全然違う。力も技も」と、圧力もうまさも段違いに成長していると感じていた。

この日ももろ差しを狙った立ち合いを見せるなど、相手のうまさを封じて勝ちきった。今場所前には、佐渡ケ嶽部屋に出稽古し、琴ノ若と胸を合わせていた。その成果については「ちょっと分からないですけど、前に攻めて相撲を取れたのでよかったです」と、冷静に話した。「いい緊張感がありながら、まだ2日目ですけど、あと13日間相撲を取って結果を出していきたい。声援が一番力になります」と、声援に感謝した。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。