【朝乃山を追う:23年名古屋場所〈下〉】12日目の朝稽古、熱く語った再出場の理由

大相撲で大関経験者の朝乃山(29=高砂)が、途中休場しながら幕内上位で勝ち越し、実力を示した。7日目に関脇豊昇龍に敗れた際に負傷。8日目に「左上腕二頭筋部分断裂で4週間の局所安静を要する」との診断書を提出し、4日間休場した。それでも勝ち越しに後がない12日目から再出場後、4連勝で締めて8勝4敗3休。年内の三役復帰という目標に前進した。21年5月に新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反。6場所の出場停止処分を経て、三段目から再出発した朝乃山のドキュメント。今回は名古屋場所を振り返る。下編。

大相撲

<東前頭4枚目:8勝4敗3休>下編:12日目から千秋楽まで

目指したのは「7場所連続勝ち越し」ではなかった

翔猿(下)をすくい投げで破る

翔猿(下)をすくい投げで破る

12日目 5勝4敗3休

〇 西前頭筆頭 翔猿戦

7日目の豊昇龍戦で左腕を痛め、8日目から4日間の休場を経て、再出場することを決めた。12日目の翔猿戦を前に、朝乃山の成績は4勝4敗3休。勝ち越しには、1番も落とせない状況だった。

ただ、再出場を決めたのは、7場所連続の勝ち越しを目指したからではない。もっと単純明快なものだった。「早く出たい」「1日でも出たい」。そして何よりも「好きな相撲を取りたい」。6場所の出場停止という処分が課された間、立ちたくても立てなかった本場所の土俵。しかも、謹慎中にまぶしく映った幕内後半戦の土俵が待っている。この日の朝稽古後、朝乃山は多くの笑顔を見せながら、随所で真剣な表情を見せて熱く語った。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。