【朝乃山を追う:23年名古屋場所〈上〉】無念の休場「出たい…」思い出したあの日々

大相撲で大関経験者の朝乃山(29=高砂)が、途中休場しながら幕内上位で勝ち越し、実力を示した。7日目に関脇豊昇龍に敗れた際に負傷。8日目に「左上腕二頭筋部分断裂で4週間の局所安静を要する」との診断書を提出し、4日間休場した。それでも勝ち越しに後がない12日目から再出場後、4連勝で締めて8勝4敗3休。年内の三役復帰という目標に前進した。21年5月に新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反。6場所の出場停止処分を経て、三段目から再出発した朝乃山のドキュメント。今回は名古屋場所を振り返る。

大相撲

<東前頭4枚目:8勝4敗3休>上編:初日から8日目まで

真価が試される上位総当たりの場所

明生に浴びせ倒しで敗れる

明生に浴びせ倒しで敗れる

初日(1敗)

● 西前頭3枚目 明生戦

約2年ぶりに戻った上位総当たりの場所の初日を、白星で飾ることはできなかった。幕内上位で相撲を取るのは、大関だった21年夏場所以来。場内の盛り上がりが最高潮に高まる上、特有の高揚感の中で初日を迎えた。

立ち合いは、一気に明生を土俵際まで寄った。だが、のぞいていた右を差しきれず、相手に立て直された。すると、まわしをつかまれて振り回され、最後は尻もちをつくようにして浴びせ倒され、天を仰いだ。初日黒星は大関時代の21年初場所以来、2年半ぶり。「攻め急がず、自分の形をつくって攻めたかった。そこは自分の精神面の弱さ」。形にこだわらず攻めれば、明生のうまさに逆転負けが頭をよぎる。形にこだわれば、立ち合いの圧力の差という利点を生かし切れない-。先場所は中盤戦まで優勝争いに絡んだ実力者を相手に、判断力を鈍らせて喫した黒星だった。

ただ、ひとしきり反省した取組後の朝乃山に悲壮感はなかった。「お客さんも多かったし、取りがいがあった」と、前を向いて話した。6場所の出場停止処分が明け、三段目として本場所に戻ってきたのが昨年の名古屋場所。そこから1年で幕内上位にまで番付を戻し、謹慎休場前にも増して大声援で迎えられ、感謝の思いがこみ上げていた。だからこそ「負けを引きずったらダメ」と、自らに言い聞かせて会場を後にした。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。