昨年末に引退した神山雄一郎氏の涙を現場で2度見てる。

神山雄一郎氏(2024年12月23日撮影)
神山雄一郎氏(2024年12月23日撮影)

1度目は05年の平塚グランプリ。悲願の戴冠へ13度目の挑戦で最大のチャンスだった。神山を慕う当時最盛期を迎えていた武田豊樹が前で先行、後閑信一が3番手を固め、後ろを大きくけん制する流れ。しかしまくってきた小嶋敬二をブロックするために流れた隙を加藤慎平に突かれ優勝を逃した。控室に戻った神山は体を椅子に深く沈み込ませ何度もため息をつき、虚空に視線をさまよわせながら、最後はひと目もはばからずに号泣した。

2度目は08年9月の一宮オールスター準決勝で700勝を達成した時。同開催初日にレース中の事故で亡くなった練習仲間の内田慶への想いがこみ上げた。「彼の無念の分まで頑張ろうと思って走ってきた」と話したが、レース直後は自転車を取りにきた栃木の仲間の姿を見るとうずくまって涙が止まらなかった。

14度目の挑戦となった09年のグランプリ前には「僕がグランプリを走る以上は勝たなければならなかった。これまではそういう気持ちで走った。後ろを振り返らない。常に前を見ている。過去の実績を数えたら終わりです。終わりだと思ってないから戦える」と話したが、かなわなかった。

神山氏には寺山修司の詩「さらばハイセイコー」がかぶさる。ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない。(中略)だが忘れようとしても 眼を閉じると あのレースが見えてくる 耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ 

就任する日本競輪選手養成所所長として、後ろを振り返らず、自身を超える選手を育ててほしい。