伏見俊昭選手が亡くなって、もう1週間近くが経った。

今の心境を表現しようにも、どうにも適当な言葉が見つからない。ただ、ただ、悲しい。

本来なら、こういった追悼文は一報を伝えた当日の紙面などで掲載すべきものだろう。ただ、どうにも心が弱ってしまって、筆が進まなかった。記者失格と言われても仕方がない。

プライベートで交流するほど親しかったわけではない。ただ、私が初めて競輪担当になった25、6年前、ちょうど彗星(すいせい)のごとくスター街道を駆け上がってきたのが伏見選手だった。おのずと取材する機会も多く、現場で会えば必ず記事にした。アテネ五輪で銀メダルを獲得し、2度のKEIRINグランプリ制覇など数々のビッグレースを制した輪界NO・1のスターにもかかわらず、会えば笑顔で気さくに取材に応じ、必ずひとネタくれるのだから記者人気は絶大だった。常に周りは人だかり。正直に言うと私も、ネタに困ったら伏見さん頼みだった。

アテネ五輪・自転車男子チームスプリント決勝 表彰台で銀メダルを胸にする日本チーム。左から長塚智広、伏見俊昭、井上昌己(2004年8月撮影)
アテネ五輪・自転車男子チームスプリント決勝 表彰台で銀メダルを胸にする日本チーム。左から長塚智広、伏見俊昭、井上昌己(2004年8月撮影)

決してひょうきんなタイプではない。ただ、話の最後は必ず、ちょっとした笑いを交えて締める。それが自虐だったり、後輩や時には先輩をイジってみたり。そして最後は必ずあの白い歯を見せて「ニカッ」と笑ってみせる。その表情が今でも鮮明に目に浮かぶ。記者として、人として、話し終わると幸せな気分になった。

年齢的に成績が下り坂になってからはさらに味が増した。F1の前検日にいろいろ話をした後「決勝を目指して頑張ります」と締めたので「決勝? 優勝の間違いでしょ?」と返すと「いやいや、決勝に乗るだけでも、もう大変なんスから、みんな強くて…。ま、とにかく頑張ります(ニカッ)」というやりとりを何度したことか。イジられるのも嫌いではなかった。

コロナ禍で競輪開催が軒並み中止になった時期、記者として何もせずに日々を過ごすわけにはいかず、伏見選手にLINE(ライン)でファンへのメッセージをお願いしたことがある。すると快諾してくれた上、自ら用意した写真をすぐに送ってくれた。それも2枚。「髪がボサボサですが」と書いてきたので「元がいいから大丈夫ですよ」と返した。こんなやりとりを気軽にさせてくれる、どこまでも飾らない人柄が忘れられない。

伏見俊昭選手とのやり取り
伏見俊昭選手とのやり取り
伏見俊昭選手が送ってくれた写真
伏見俊昭選手が送ってくれた写真

学年でいうと、年齢は私がひと回り上になる。そう遠くない将来、そちらでお会いできる日も来るでしょう。その時はまた取材させてください。合掌。【栗田文人】