ピッチ内でボールを追うはずだった埼玉スタジアムの夢舞台で見たのは、応援スタンド最前列からの光景だった。青森山田高サッカー部の海老原陵汰(3年)は、両手に太鼓のばちを力強く握りしめていた。

1月の全国高校サッカー選手権で仲間に声援を送る青森山田・海老原(撮影・鎌田直秀)
1月の全国高校サッカー選手権で仲間に声援を送る青森山田・海老原(撮影・鎌田直秀)

■登録メンバーから落選

3年生最後の大会。選手と一緒に戦う気持ちで戦う決意で、応援団長に志願した。こんなはずじゃなかった-。

そんな気持ちは胸の中に封じ込め、悔しさを晴らすのは大学進学後と決めた。そう思わせてくれたのも、1から30までの背番号をつけ、登録メンバーとなった仲間だった。

19年12月16日、全国高校サッカー選手権に向けた登録メンバー30人の発表。黒田剛監督の見守る中、正木昌宣コーチから自分の名前が最後まで呼ばれることはなかった。

頭の中は真っ白になった。前日15日の高円宮杯U-18プレミアリーグチャンピオンシップ(埼玉)で名古屋U-18を3-2と破り、チームは日本一となっていた。天国から一転、地獄に突き落とされたかのような思いだった。

4人部屋の寮の自室に戻ったことすら、ほとんど覚えていない。同じ部屋で背番号11のMF後藤健太(3年)からギュッと抱きしめられ、正気に戻った。主将で背番号10のMF武田英寿(3年)からも「お前の魂はオレたちの心の中にいるから」。その言葉に、ようやく前を向くことができた。

「落ち込んでいる場合じゃないと気づきました。過去には戻ることはできない。去年のスタンドで応援団長の隣にいたので、自分の役目はこれしかないと思って立候補しました」

■Jユースから高校サッカー

神奈川県座間市出身。J2のFC町田ゼルビアのジュニアユースから「選手権に出たくて青森山田に来た」。身長175センチとセンターバックとしては小柄ながら、ガッツあふれるプレーと的確で大きな声が売り。青森山田セカンドとしてプリンスリーグ東北や、青森県1部リーグに出場してきた。選手権の青森県予選でもメンバー入りしていた。

「Jユース(町田)にいて慢心もあった。良い環境が当たり前になっていた部分もあった。プロ(Jリーガー)になるためには自分を変えないといけないと思った。(スペイン2部デポルティボ)柴崎岳選手や黒田監督に憧れていたので、雪や寮など厳しい環境はあるが、人間としても成長できると思った」

今では自身がチームに貢献できることが何かを、自然と考えられるように成長した。メンバー外となって以降は、遠征にも同行できない。練習も本格的には参加できない。その中で試合や練習の映像を確認して、仲間に出来る限り詳細な試合リポートを作成し、良かった点、改善点を分析した。今大会中も初戦の2回戦から試合後にLINEなども使って、自身の分析をチームや個人に伝えた。「31番目の選手」として、準優勝に貢献した1人だった。

「そりゃあ、選手権で試合に出られないと決まった時は悔しかったですよ。ピッチに立って全国優勝することが自分の夢でしたから。でも3年間でサッカーも、人間的にも成長できたと思っている。青森山田に来て、後悔は当然ないですし、この3年間で学んだことは絶対に次に生きると思っている」

同じ釜の飯を食ったMF武田が浦和レッズへ、MF古宿理久(3年)は横浜FCに入団した。プロサッカー選手という夢も、絶対にあきらめるつもりはない。サッカーは江戸川大(千葉県大学リーグ1部)で続ける。見返す気持ちを、原動力にも変える。

「次の目標は1年生からスタメンで出場すること。スタートが肝心だと思っている。選手権でメンバー落ちした悔しさを一生忘れずに、(青森山田のスタッフを)ギャフンと言わせたい。それは黒田監督も正木コーチも喜んでくれるはずです。大学にいって、あいつらに負けないくらい成長して、4年後にJリーガーになります」

青森山田対静岡学園 前半、PKで追加点を決めイレブンと喜ぶ青森山田MF武田(中央左)(撮影・垰建太)
青森山田対静岡学園 前半、PKで追加点を決めイレブンと喜ぶ青森山田MF武田(中央左)(撮影・垰建太)

■過酷な雪上ランニング

海老原も入学した最初の1年は、退部することさえ考えた時期があった。初めて過ごす厳しい上下関係に、洗濯、掃除、食事の準備。日々真剣勝負で心も体も疲労困憊(こんぱい)となる練習量。冬になれば味わったことのない寒さ。有名な雪上サッカーだけでなく、雪上ランニングは、さらに過酷だった。腰ほどまで積もった雪の中を何時間も走った。サッカー場の雪が踏み固められれば、次は野球場へ。想像をはるかに超えるものだった。

「サッカーではメンバー争いもあるので、仲間であり、時にはライバルですけれど、サッカー以外では兄弟のように助け合って励まし合えるみんなでした。ずっと一緒に過ごすから分かり合えるし、支えられる。それが寮生活をしながら学校と部活動と両立できた要因。つらかったけれど、3年間続けて良かった」

今回のメンバー落ちを含め、つらい気持ちを支えてくれた1曲がある。Mr.Childrenの「終わりなき旅」。その中の『高ければ高い壁のほうが 登った時気持ちいいもんな まだ限界なんて認めちゃいないさ』の歌詞に励まされ、何度も涙を拭いては前を向いた。

「苦しいことをやればやるほど、苦しい経験をすればするほど、美しい景色を見てやろうと思えました」

■黒田監督の指導理念

青森山田高には全国から選手権優勝を夢見る生徒が集まってくる。だが黒田監督が就任した当初は、入学の勧誘をしても「サッカーやるのに雪国なんて行きません」と断られることのほうが多かった。

約20年かけて全国大会連続出場を続け、16年度にプレミアリーグと選手権を初制覇して2冠を達成。青森山田中からの入学希望者も多くなり、選手権優勝や将来のJリーガーを志す野心多き集団となっている。これまで40人ほどのプロ選手が生まれた。感情の起伏が大きい多感な時期の高校生を支え、成長させてきたのは、黒田監督の指導理念があってこそだ。

黒田監督は「教育者ということは忘れてはいけない。一緒にいられる時間が長いからこそ、学校や寮生活を含めて、生活面、人間性、調和、サッカーだけでなく、いろいろな面で成長させてあげたい」と自身の考えを徹底。失敗を恐れない挑戦には拍手を送る。

「生活でもサッカーでも、自分で1回ミスをして、負けて、その材料を1つずつポケットにしまって、拾いながら成長していく。人生と同じ縮図です」

失敗や挫折に負けず、それを糧に強くなる。厳しい社会をはい上がっていけるたくましさを養い、巣立たせる。

青森山田高はAチームだけでなく、BチームやCチームであっても、寮から各遠征への出発の際は部員全員で送り出し、帰ってくる時も同様に迎え入れる。仲間を代表して戦い、支え合う意識が構築されている。

1月の全国選手権で、海老原の目は試合に出ている誰よりも輝いていた。スタンドからチームを勝たせるんだという気迫に満ちあふれていた。

そしてまた、海老原を部屋で抱きしめた後藤も、海老原の姿から多くのことを学んでいた。

「つらいはずなのに『応援団長になって支えるから』と誓ってくれた。自分たちは、こういう選手の気持ちも背負って、倒れるまで戦って結果を出さなくてはいけないことを、あらためて教えてもらいました」

100人を超える大規模での部活動。最終学年最後の試合に出られない部員が大多数いる。そんな現実を直視するレギュラー選手にもまた、新たな感情が芽生え、チームは1つとなる。

海老原は次の舞台へと羽ばたくための3年間を終えた。高校サッカーのトップに位置する青森山田で磨いた心技体。それを武器に、埼スタの応援団長は「終わりなき旅」へと向かう。【鎌田直秀】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)